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広瀬立成 『朝日おとなの学びなおし 宇宙・物質のはじまりがわかる 量子力学』



「おとなの学びなおし」で「量子力学」! って学びなおしはおろか、そもそも学んだ覚えがありませんけれど……というつまらないツッコミはさておき、数式をほとんど使わずに量子力学の世界を紹介する、という触れ込みに誘われて読んでみました。著者は都立大の名誉教授の方で、朝日カルチャーセンターでの講義にあわせた企画だった模様。内容のレベルとしては一時期『Newton』でこの手の知識を仕込んでいたこともあり(このへんとか、このへんとか、このへんとか)、新しい知識は特別にはありませんでしたが「すらすら読める!」という宣伝にウソはありません。しかし、本書は難しい部分を「わかりやすく喩えたら、こんな感じですよ」方式でものすごくザックリ進めてしまうので、ほ〜、そんな感じなんだ、と思うところがあっても後から振り返ると、う〜む、このレベルで「わかる」と言ってしまって良いのだろうか? と疑問に思わなくもない。とくに自発的対称性の破れの箇所は、そんな感じが強かったです(Wikipediaでもなんでも良いので、本書の説明を読んだ後に、この言葉を調べて読んでみると良いです)。

また「平易な文章 = ですます調で語りかけるような文章」だと勘違いしているのでは、という雰囲気があり、これではまるで「長調の曲を悲しいそうな顔で歌ったら短調になる」(中島らも)の世界……すらすら読ませるためにちょっと犠牲になっている部分があるのでは、とも思いました。一般向けに科学的な知識を広める文章なら、長年の蓄積のあるニュートンプレスが圧倒的なクオリティであって、そこと比べると、やはりちょっと見劣りしてしまいます。ただ、これ一冊になんかいろいろまとまっている、という点においてはなかなかありがたい本でしたし、先端的な専門知と非専門の市民とのつなぎ目を作る、みたいな本としては、このぐらいのレベルなのかなあ。「とかく難解と思われがちな量子力学の基礎が……」って内容紹介にあるけど、「思われがち」じゃなくて実際難しい分野だと思うし、その難しさを比喩でほぐしてしまうことで失われてしまうサムシングに思いを馳せてしまう。

冒頭、現代の科学者が量子論にたどり着くまでの道のりを辿るときの開始点が古代ギリシャから、っていうところは良いと思いました。「え! そこからかい!」という驚きつつも、すごく良い導入部になっています。あと、量子力学といえば、やれ二重スリット実験だ、やれシュレディンガーの猫だ……という話ばっかりで、っていうか、そのぐらいしかでてこなくて「量子力学ってアレでしょ? なんか、えーっと、なんか電子が光だったり、波だったり……あ、猫が死んだり、死ななかったりする、アレ」というのが、普通の人が知ってる範囲だと思うんですけれども、その有名な部分が本書では一番最後にでてくるのも特徴的だと思います。猫が死んだり、死ななかったりしないで、古代ギリシャから現代までの「世界はなにでできてるか」を一気通貫するっていう。CERNのLHCが活躍しまくっているおかげで、早くも本書の内容が古くなり始めているのが、アレですが面白く読みました。

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