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パリでパサージュを撮ってきた(1)

9月11日から15日までパリに滞在していました。2年連続2度目のパリ旅行、今回は前回旅行時にリサーチ不足で見られなかったパサージュを見学し、ヴァルター・ベンヤミンが見た景色について思いを馳せてみよう、というのが個人的な目的のひとつでした。たまたま取ったホテルの近くにパサージュがいくつもあり、到着したその日からミッションを進められたので良かった。以下、撮影した写真を掲載します(各パサージュの場所についてはこちらのサイトを参照のこと)。


パサージュ論 (岩波現代文庫)
W・ベンヤミン 今村 仁司 三島 憲一
岩波書店
売り上げランキング: 130167

パサージュ・デ・パノラマ(Passage des Panorama)
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ベンヤミンのパサージュ論にもありましたが、このパサージュでは元々パノラマ画の見せ物小屋が人気だったそうです。部屋の360度に風景画が描かれたこの小屋では観客はあたかもホンモノそっくりの風景を愉しむことができたとのことで、劇場でありながら一種の仮想現実的なエンターテイメントだったのでしょう。技術による自然の模倣のひとつの象徴としてベンヤミンはこのパノラマを取り上げています。現在はカジュアルな食堂が立ち並び賑やかでした。観光客よりも地元の人が多く見え、値段もかなり手頃なお店が多かったです。
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インド料理屋さんもありました。
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せっかくなので一番賑わっていたお店で夕食を食べました。前菜はぜんぶ3.8ユーロ(安い。ゴートチーズのサラダを選択しました)。このお店に入った頃、周りのお店はガラガラでしたがお店を出る頃にはどのお店もかなり混み合っていました。パリジャンの夕食はどうやら遅いらしい。
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ただし、この日一番混んでいたのは「Gyoza Bar」でした。日本のラーメン屋みたいな行列ができていた。コーラとかスプライトとかを飲みながら餃子を食べている姿が印象に残り、自分も将来は海外でインチキな日本料理出したりしたい、と思いました(Gyu-don Barとか)。

パサージュ・ジョフロワ(Passages Jouffroy)
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パサージュ・デ・パノラマと通りを挟んで向こう側にあるパサージュ。アンティークっぽい雑貨や古書、版画のお店などがあり、シックな雰囲気。
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パサージュ・ヴェルドー(Passage Verdeau)
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ジョフロワと繋がっているパサージュ。ここも古書や美術品などのシックなお店が多かったです。入り口の雰囲気がとても良かった。
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ほかのパサージュについてはまた今度にします。続き。

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