スキップしてメイン コンテンツに移動

The Jesus & Mary Chain / Original Album Series Box Set

JESUS & MARY CHAIN  5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET
JESUS & MARY CHAIN(ジーザス&ザ・メリー・チェイン)
Warner Music (2010-02-27)
売り上げランキング: 7144
最近は、なんかもうロックとかは良いんじゃないか、手持ちのロック・ミュージックの音源さえあれば、新しいのに出会わなくとも、ほら、ブラジル音楽やソウル・ミュージックのほうが素敵じゃないですか、とか思っていたのである。

が、当ブログがもっとも言及しているブロガーであるtdさんが「一番好きなのはJesus & Mary Chainかもしれないですね」とおしゃっていたのをキッカケに、かのバンドの名盤ボックスを買ってしまい、そして狂ったように聴きまくっているのであった。The Jesus & Mary Chain、通称ジザメリさんである。すでに評価された音楽ばかり聴いているのであるから、保守趣味、と揶揄されても致し方なし、しかし、アラサーになってもこうして「おお、これはなんと素晴らしいロック・ミュージックなのであろうか」と小躍りしたくなる出会いがあるとは思ってもみなかったですね。なんか、こう、年を取ったらどんどんセンスが凝り固まっていって「オイラはもうレゲエしか聴かないダス」とか「AOR以外は音楽と認めない」とか「モーツァルト以外はウジ虫同様に価値がない」とか言いだすのかと思ったら、どんどん新しいモノが入ってくる(ジザメリさんは新しくないけれども)。

もちろん、まったくもって宇宙人的なもの、異人的なものではなく、これまでの趣味の延長線上に位置づけられたりして、ジザメリさんであれば「このザーッというギターの音は、マイブラさんみたいであるなあ」とか思って聴いてたりするんだけれども(マイブラさんには特に思い入れなし)、これまでの趣味が拡張されていく、というか、おお、こういうロックも俺好きだったのか、とか思って多幸感に包まれる。この名盤ボックスには、1985年(俺の生まれた年だ……)から1995年までの5枚のオリジナル・アルバムを収録。デビュー盤から順番に聴いたんだけれども、一枚目のザーッとかギャンギャンとか言ってる工場のごときギター・ノイズとポップなメロディのギャップ……からの調和がなんとも奇跡的に思え、しかもコレ、激しいけれども全体的にペラっとした音像ではないですか、これはなんだ、甘いのか辛いのか、濃いのか淡いのか、よくわからないけれども狂おしく好きになってしまった。

その後、いきなり2枚目から工場的なギター・ノイズは聴かれなくなり、音もどんどん洗練されていくのだが、都会にでたという幼馴染の女の子が10年後、たまたまお盆のときに出くわしたら垢ぬけててビックリした……ようなそういう感覚をもちつつ喜んで聴いている。攻撃的な音が、どんどんまろやかになっていく変化のプロセス、そのための時間をすっ飛ばして聴いているわけだから、リアルタイムの人が受けた衝撃とは違ったものを聴いているわけだが、一枚目が含む、甘いのか辛いのかわからない、その複雑な感じが、なぜか切なく聴こえてしまって、要するに全部好きになってしまったんだよ。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...