スキップしてメイン コンテンツに移動

塚本勝巳 『世界で一番詳しいウナギの話』

世界で一番詳しいウナギの話 (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)
塚本勝巳
飛鳥新社
売り上げランキング: 10333

先日読んだこのインタヴュー記事がたいへん面白かったので読んでみた。東大でウナギの研究をされている方の本(語りおろしなのかな)。ウナギの生態はアリストテレスの時代からの謎であることは、以前に『動物誌』を読んだときにも書いたけれど、本書ではこの2400年ほど前からの謎が今どこまで分かっているのかを教えてくれる。ウナギの進化についての仮説をストーリーにした部分は、偶然の積み重ねによって、それが自然に選択されていくように見えるロマンティックなものとなっていて面白かった。単なる雑学本の類にとどまらず、ウナギの謎を解き明かすための研究者の苦労がとてもドラマティックに描かれているのも良かったですね。研究が世の中のなにに役立つかはわからない、けれども、とにかく「面白い!」「知りたい!」という探究心に突き動かされる研究者の姿は、自然科学のみならず、人文科学の人にも伝わるハズ。

とはいえ、探究心だけで研究をさせてもらえる余裕がある世の中ではなくなってきているわけで、先に紹介したインタヴュー記事でも語られているけれども、日本の研究者たちは限られた資源を共有しながら自分たちの仕事を進めている。つまり、自分が使う研究資源は他のだれかが使いたかった資源なのだ。ウナギの卵を探して航海にでるのにも、自分たちが船を使っているあいだは当然他の研究者は船に乗れない。それゆえに業績を出さなくてはいけない責任を彼らは負っている。本書にある研究船内での作業の記述は、効率的に時間を使うために考え出されたものであることがわかるけれど、そうして生産性をあげていかなきゃいけない、っていう動機には、こうした責任感があるのかもしれない。業績を出さないと研究資源もとれないし、じゃあ、業績を出すために研究資源をどう使えば良いのかは、一般企業のマネジメントにも通ずる話な気がする。先日ノーベル賞を受賞された山中伸弥さんなんかも、どうやったら研究資金を確保できて研究を進められるのかに苦心されていて、視線はほとんど経営者みたいだし。

楽しいし、ウナギの卵やプレレプトケファルスを採取する箇所などは読んでて感動してしまう本なんだけれども、あえて文句をつけるなら、イラストの使いどころか。たとえば、調査に使っている網が海中でどのように開くのかなど、文章だけ読んでもよくわからない箇所がいくつかあって、イラストをいれるならもうちょっとちゃんと必要なところに割り当てて欲しかった。あきらかに雰囲気だけのイラストが入っているから余計にそのへんが残念に感じる。本当に細かいところではあるんだけれど。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...