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「明朗で自堕落で、何もかもでたらめでいい加減で……」愛すべき、都市の記録(榎本恵美子 『ナポリ日記』)

先日『天才カルダーノの肖像』を刊行された榎本恵美子さんから『ナポリ日記』という著作を送っていただく。これは筆者が、海洋生物学者の旦那様の海外派遣にともなって滞在したナポリでの生活を記録したもの。海外旅行が「そこそこお金を出せば誰にだっていける」という世の中がいつ頃定着したかはわからないけれど、1975年という年に海外、それも南イタリアの一都市で半年間暮らした日本人の記録が貴重でないわけがなく、筆者のユーモラスな筆致が素晴らしいこともあって、大変楽しく読ませていただいた。

わたしがナポリについて知っていることと言えば、ポンペイやヴェスヴィオ山があること、ジョルダーノ・ブルーノの出身地であること……ぐらい。とはいえ、ここで描かれている南イタリアの人々の(愛すべき)いい加減さは、村上春樹のエッセイ『遠い太鼓』で読んだものと通じているように感じた。ふたつの本の間には10年ほどの時間の経過があるわけれども、土地の雰囲気とか空気というのは、そう簡単に変化するものではない。ひったくりや車上荒らしの多さ、郵便事情の悪さ、経済状況。そうした南イタリアのみならず、あの長靴型の国を取り巻く状況もまた、大きく好転しているわけではない。

悪い噂を聞いてしまうと「うーん、ちょっと行くのは憚られるかなあ」と思ってしまうところがあるけれど、それでも、本書はナポリでの生活をとても魅力的に描いている。生活の楽さが魅力的なのではなく(日本との習慣や制度の違いのおかげで、むしろ困難が伴う生活が描かれている)、人間的な生活、というか、大らかでいられることに強く惹かれてしまう。日本人が失ったサムシングが……などとうさん臭いことを言いたくはないけれど、公共機関が動かないことや、郵便物がちゃんと届かないことを「許せる社会」って良いな、と思う。

表紙や挿絵の版画まで、筆者自身によって制作された自費出版本なので、超絶レアアイテム(榎本さんがわたしに送っていただいたものを最後に、在庫も切れたそう)なのが正直言って勿体ない。これは日記文学・旅文学としても一級品の作品に違いなく、是非、中公文庫に入ってほしいと思う一冊。武田百合子と並べても遜色のない本だと思います。

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