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ラファエッロの《椅子の聖母》

Gombrich On the Renaissance - Volume 1: Norm and Form
E.H. Gombrich
Phaidon Press
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引き続き、ゴンブリッチの「Raphael's 'Madonna della Sedia'(ラファエッロの“椅子の聖母”)」を読んだ。おそらく講演をもとにしたエッセイで、前口上的に語られる「芸術作品がその製作時の逸話などを媒介に語られることで受容されるこの弊害」みたいな部分がとても面白い。
小椅子の聖母
ゴンブリッチ曰く、ラファエロが晩年にローマで描いたこの作品には、これといったエピソードが残されていない。物語として独立して成立した芸術作品なのである。にも関わらず、後世に捏造された逸話がまことしやかに語られてしまっている。そういうのは良くないんじゃないの、作品を前にして、作品を観ているのか、逸話を聞いているのか、よくわからなくなっちゃうよね、的な批判からゴンブリッチはこの作品の分析に入っていく。

では、どんな逸話があったのか。例えばこの作品の形について。円形の絵画は「トンド(tondo)」と呼ばれ、ルネサンス期に流行した形式だった。ラファエロはその流行にそっていただけなのに「カンバスが買えないほど貧乏だった時代のラファエロが、酒樽の底にスケッチをおこなったからこの絵は丸いのだ」などと語られた。19世紀にはこの逸話を元にして「モデルとなっている親子を前にして酒樽の底に下絵を描くラファエロの姿」を描いた絵画も製作されたというのだから、これは相当に根強い伝説だったのだろう。またこの絵画のモデルについても、諸説あり、ゴンブリッチはこの絵画が展示されているピッティ宮殿パラティーナ美術館を訪れたときに、どこぞの旅行ガイドが「これはラファエロが自分の妻をモデルにしたんですよ〜」と語っていたのに遭遇した、と言う。ちなみに、ラファエロは生涯独身だったので、そんな話は大嘘なわけである。

ゴンブリッチの作品分析は、ラファエロの作風の変遷を細かく追っていてなかなか面白い。ウンブリア派の工房に弟子入りしたところからキャリアをスタートしたのち、フィレンツェに行ってレオナルド・ダ=ヴィンチの絵画に衝撃を受け、そこで「聖母子」というテーマを探求し、聖母子を描いた3部作的な作品を残した、というところが熱い。そこにはレオナルドの影響も色濃く見られるが、ルーツであるウンブリア時代の師匠、ペルジーノから学んだ技法もしっかりと刻まれているのだという。

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