スキップしてメイン コンテンツに移動

ホセ・ドノソ 『別荘』

別荘 (ロス・クラシコス)
別荘 (ロス・クラシコス)
posted with amazlet at 16.09.07
ホセ ドノソ
現代企画室
売り上げランキング: 438,690
以前にホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』を読んだとき、「これはまるで『読む危険ドラッグ』だなあ」と感嘆したのだけれど、『別荘』も同じように思った。ハッキリと時代はわからないが移動に馬車が用いられるぐらいに昔、原住民たちを金鉱山で働かせて作った金箔を売りさばき、巨万の富を築いたベントゥーラ一族が所有する別荘でのお話。設定がまずスゴくて。別荘を取り囲む荒野には、かつては食人の習慣があった原住民たちが住み、そして、いろいろ役に立つよ、と言われて盛んに植えられた、という空想の植物、グラミネア(実際は、ほとんど役に立たず、異常な繁殖力で周辺のほかの植物を絶滅させている)が生い茂っている。外界から隔離された空間としてこの別荘は設計されている。

この密室的空間は『夜のみだらな鳥』の登場人物、ドン・ヘロニモが息子のために作ったフリークス的ネヴァーランドを想起させるが、『別荘』でこの密室に配置されているのは、一癖も二癖もある33人のいとこ(かつては35人)と、一癖も二癖もある彼らの父母、そして一癖も二癖もある使用人たち……という感じであって、異様な空間に妙な人物たちが詰め込まれている点では共通している。で、話は、父母のグループ(一族に伝わる独自のルールで子供たちをガチガチに支配している)がハイキングにでかけるところからはじまる。

支配者がいなくなった別荘で、なにも起こらないわけがない。別荘では「この支配からの卒業」と言わんばかりに反乱じみた騒動が起こり、事態はなんだかよくわからない感じで大変なことになる。大人たちが別荘を離れたのはわずか1日、しかし、子供たちが残る別荘では1年の時間が経過しており、アインシュタインもびっくりな感じで時空が歪む。ん〜、マジックリアリズム。最終的にストーリーはかなり破滅的な終わり方をするのだが、落日のベントゥーラ家にとどめを刺すのは、一家から出た裏切り者と外国人……というところに、カルロス・フエンテスのような自国に対する批判的なまなざしを読み取ることができる。

作者が前面に出てきて「この小説は、フィクションですんで……」云々と自説を開陳したり、登場人物と作者自身が会話したり……とポストモダニズム(笑)なところもあって「む、めんどくせー小説か?」と思わせる部分もあるのだが(登場人物も多いし)、500ページを超えるヴォリューム以外は、読みにくいところはほとんどない。というか、これでもか、これでもか、と怒涛のように押し寄せる過剰な表現がグイグイと読者を引っ張って行って離さないだろう。「よくもまぁ、こんなヒドいことを思いつくな!」と拍手したくなるドノソのグロテスクな想像力も圧倒的だった。ガルシア=マルケスがスーパーマンなら、ドノソはバットマンかな……。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...