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音楽の儚さについて




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 今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでミシェル・コルボがフォーレの《レクイエム》を演奏すると聞いてから、よくこの曲を聴いている。私がこの曲で最も好んでいる部分は第4曲の「ピエ・イエスズ」(コルボが指揮したものではないけれども、上に揚げた動画がそれ)。オルガンと小規模のオーケストラのシンプルな伴奏の上で歌われるボーイ・ソプラノが美しすぎ、この部分を何度も繰り返して聴きたくなる。


 一つの濁りもない澄み切った音楽だ、という感動と同時に考えてしまうのは「ああ、なんて音楽というのは儚いのだろう」ということ。「ピエ・イエスズ」は全曲中で最も短い部分であり、たった3分程度で終わってしまう。贅沢な話かもしれないけれど、オルガンと弦楽器によって最後の和音が閉じられるたびに「この清浄な音楽のなかにもっとどっぷりと浸かっていたかった」と思う(他の部分も素晴らしい曲なんだけど)。


 そのように儚い思いに駆られるのは、ボーイ・ソプラノという存在自体がすごく儚いものだからかもしれない――「声変わり」という生理的な現象によって、この美しい声は失われてしまうものだから。1972年に記録されたアラン・クレマンの美しい声は、「いまやどこにも存在しない」という事実が余計に儚さをかきたてるのである。アラン・クレマン少年(当時)の声変わりはこの録音が行われた10日後に始まった、というのはなんともドラマティックな話だ。



フォーレ:レクイエム
フォーレ:レクイエム
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クレマン(アラン) サン=ピエール=オ=リアン・ドゥ・ビュール聖歌隊 フッテンロッハー(フィリップ) ベルン交響楽団 コルボ(フィリップ) フォーレ コルボ(ミシェル) コルボ(アンドレ)
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 どうでも良いんだけど、第1曲「イントロイトゥスとキリエ」の一番最初の和音がブラームスのピアノ協奏曲第1番の和音と全く同じなので、勝手に頭の中で2つの作品が同時再生されるのが困る。





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