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パーカッシヴなピアノ曲




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 散漫なエントリを連投しておりますが、続けます。パーカッシヴなピアノ曲で思いついた曲をYoutubeで探してみました。一曲目はジョン・ケージの《プリペアド・ピアノのためのバッカナール》。プリペアド・ピアノとは、ピアノの弦にゴムやネジなどを挟み込んで、音色が準備されている――というケージによる大発明ですが、この曲はその楽器を使用した作品のなかでも傑作に数えられるものでしょう。思いっきりガムランを模写してますが、かなりダンサブル。



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 続いてバルトークのピアノ・ソナタ第1番。演奏するのはゾルターン・コチシュ。うわー、すげぇ老けたなぁ、この人。同じハンガリー出身のアンドラーシュ・シフと芸風が被ってて、見分けつかなかったんだけど、これなら分かる。



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 続いてヒナステラ(アルゼンチンの作曲家)のピアノ・ソナタ第1番より第4楽章。「アルゼンチンのバルトーク」と呼ばれているだけあって、本家に迫る異常なリズム感。



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 そしてプロコフィエフ。演奏はエミール・ギレリス!リヒテルと肩を並べるソ連の代表的ピアニストですが、彼の持ち味もやはりバリバリと弾きまくる鋼鉄のピアニズム。曲も面白くて、華々しく始まるのに突如メランコリックなところにたどり着くところなどがプロコフィエフっぽくて良いです。この脈絡のなさが天才っぽい。


 適当に集めてみてから「どういうピアノが“パーカッシヴ”と呼ばれるのか」ということについて考えてみましたが、“パーカッシヴなピアノ”の多くは「音が密集した(つまり似たような倍音が集合して塊になっている)不協和音を強いタッチで弾いているもの」だと思いました。よく考えたらジャズのピアノなんか大体そんな感じな気もします。特にセロニアス・モンク。



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 66年のセロニアス・モンク・カルテット。チャーリー・ラウズ(サックス)と組んでいるときのモンクはなんか結構ユルくて好きです。でも、このサックスが「普通っぽい」から、ユルくてもすごく変に聴こえる――ああ、この映像、やばいなぁ、中盤のモンクのソロ……明らかにガンギマりじゃないか……。



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