スキップしてメイン コンテンツに移動

料理とモテとこどもの心性



CA330007


 写真は、私が使ってる包丁類。左から、ヘンケルスの万能包丁、チーズを切る用のナイフ(ギザギザしてるのでパンとかトマトとか切るのにも使っています。たぶん本当はダメだけど)、あと果物用のナイフです。この3本にヘンケルスの牛刀も加わる予定です(昨日、肉を切ろうとしていたときに万能包丁だと上手く切れなかったので)。包丁のトップ・ブランドであるヘンケルスのナイフはどれも高級ですが「ライン」というシリーズは割りと手ごろの価格帯。あと軽くて使いやすい。



Zwilling ライン シェフナイフ
Henckels (ヘンケルス)
売り上げランキング: 3198



 さて、昨日のエントリについたブクマ・コメントを眺めつつ「まだまだモテ/非モテの文脈というホッテントリ資源(俺造語。適当にその資源について語っておけばそれなりにブクマがついてしまう……という便利なサムシング)は枯渇してないのだなぁ」と思ってしまいました。また、「料理が出来る男=モテ」という回収のされ方は果たして妥当なのか(あるいは、料理が出来る男は本当にモテるのか)、これも大変興味深いテーマだと思ったので少しこれについて書いておきます。


 個人的には「飾らない感じで、ごく自然に美味しいものが作れる人は男女問わず好ましい」と思ってしまいますが「なんか張り切ってる感が出ちゃってる人」は逆に浅ましさ、嫌らしさが出てしまってよくないようにも思います。いわば「料理と一緒に君もいただいきます感」が出てしまうとダメです。


 とはいえ、そこまで露骨な男性はなかなかいないでしょう。そもそも露骨な男性においては「料理は口実でホントのメインディッシュはワタシにちがいない!」と見破られ、料理を提供する以前の問題として片付けられてしまいます。相互に好意がある場合に限って「美味しい料理を食べさせてもらう代わりに、ワタシを……」というWin-Winな関係が築けるのかもしれませんが、いずれにせよ現実的にモテるためのツールとして料理を用いるのは難易度が高く、せいぜい「モテ感」を演出するためのツール程度に収めておくのが妥当でしょう。


 しかし、そのように現実的なモテとは無関係であっても、料理を「頑張る」男がいるのはなぜか――私はこの要因に、こども的な心性が大きく関連しているように思うのです。具体的な例をあげるならば、こどもがテレビマガジンの付録や、プラモデルを頑張って作って、それを誰かに見せびらかしたい、というような事象が適当でしょうか。何かをうまい具合に作って、誰かに褒めてもらう。このときに他者の側から送られる承認を男性は求めている――などと言ってしまうともっともらしいですが、料理を頑張る男性にはこのような幼児性が備わっているように感じられます。


 「料理好きな男ほど、道具にこだわる」という傾向も「男の子は乗り物と武器が好き」という傾向と並べてみると理解しやすいのかもしれません(単なる自己分析に過ぎませんけれど。今度はル・クルーゼの鍋が欲しいなぁ)。



Le Creuset ココット・ロンド 24cm モスグリーン
Le Creuset (ルクルーゼ)
売り上げランキング: 3946






コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...