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クセナキス 管弦楽作品集



クセナキス:管弦楽作品集(HMV)


 昨日、楽しみにしていたヤニス・クセナキスの管弦楽作品を集めた5枚組ボックスセットが届いたので、もりもりと聴いています。このボックスセットには、「とくダネ!」でも紹介されたという大井浩明のピアノ独奏によるピアノ協奏曲、《シナファイ》の録音などが含まれており、また、クセナキスの実質的デビュー作となった《メタスタシス》(1954)から90年代の作品まで満遍ない選曲となっています。中心となっているのは70・80年代の作品のようですが、クセナキスをがっつりと聴いてみたい、と思っている人にはちょうど良いセットなのではないでしょうか。


D*1


 実のところ、これまで私もクセナキスの作品を集中的に聴いた経験がありませんでした。「ル・コルビュジエの元アシスタント」で「数学やコンピュータを使って作曲」し、「第二次世界大戦中に拷問を受けて片目を失明」し、「大編成のオーケストラを使用」して、「すごく複雑で演奏が難しい曲を書く」人。こういったイメージばかり(というか知識)が先行していたのですね。今回ボックスが届いて聴き始める前も「さて、どんなわけがわからん曲が入っているのだろうか……」とドキドキしていたのですが、聴いてみると割合聴きやすい曲が多くて、それがまず驚きでした。スコアが真っ黒になっていそう……という印象はやはり強く感じるのですが、意外にポップ、というか。





 特に80年代の作品は、ダンサブルだとさえ思ってしまう。基本的には、大編成のオケを使用して凶悪かつ圧倒的な音響を構築する、という視点は揺るぎないようなのですが、時折、ペンタトニックのメロディらしきものが現れたりして驚かされます。そのなかでも《シャール》という1983年の作品は超カッコ良いですね。この曲の中では、もう混沌としか言えないほどポリリズムと不協和音でグシャグシャになる箇所があるのですが、そこがツボ。この部分をクラブで聴いてみたい。




*1:《シナファイ》の映像





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