スキップしてメイン コンテンツに移動

勉強の止め時がわからない






 今度の日曜日に「データベーススペシャリスト」という資格試験を受けるため、その勉強を続けている。会社員になって早4年目。コドモの頃は「オトナになったら勉強しなくていいんだ!」と信じていたのに、オトナになってみると「仕事をしたうえに勉強しなくちゃいけない」という二重苦に陥っており、だまされたような気がしてならない。いや、コドモの頃、周りに勉強しているオトナがいなかったから勝手に思い込んでいただけなのかもしれないが。とはいえ、これまで私は勉強しかしてこなかったタイプの人間であるため、勉強しない生活を続けるとなんだか罪悪感に苛まれるのである。やめようにもやめられない感じもするのだ。フーコーの言葉を用いるならば、規律の内面化! であろうか。





  • 基本情報処理技術者

  • 応用情報処理技術者

  • 銀行業務検定3級の資格(×3)

  • 簿記3級

  • 生命保険系の業界資格(たくさん)



 会社員になってから取った資格を数えてみたら以上のような感じになった。「たくさんとった」という感じもするし、リスト化してみると「そんなに立派でもないな」という感じもする。少なくとも「もういいや、もう満足」という感じはしない。果たして、自分はどこで勉強をやめて良いものやらよくわからないのである。一応、IT業界に身をおくものとして「資格は持っておいたほうがいい」と言われるし、会社からも「資格とったらお金あげるよ」と言われている。なので「データベーススペシャリスト」の受験申込をしてみたのだが、あまりの勉強のツラさに「俺はもう、これ以上(情報処理処理系の)資格は取れないんじゃないか? もうこの支配から卒業しても良いんじゃないか?」と思った。





 こんなツラい思いを続けるよりも、机の傍らに積み上げられている読んでいない本を読んでいたほうが、意義深い人生が送れるんじゃないか? 大体、資格なんか実務でまったく役に立たないし(そもそも実務でデータベースの設計なんかやってないし)、上位資格を取っていっても劇的に給料があがるわけでもない……というのは、勉強をしない方向に進むための自己合理化である。劇的に生活をかえるなら、公認会計士とか、税理士とか、そういう方向に進めば良いのか? それは今よりもツラそうだ。





 高収入が望めそうな資格に挑戦しようとすると、今よりもきっと「ホントに受かるのか? この努力って無駄なんじゃないか?」って意識に悩まされるだろう。去年、マジで勉強して中央大学の法科大学院を受験して(落ちたとき)「あ……すっげー、無駄な時間すごしちゃったんだな……あの時間で何冊本を読めたかな」って思ったしなぁ……とかいうのもやっぱり、楽なほうに逃げるための口実であって、そういうのを認めちゃうのはダメだ! とか思う。





 結局何が言いたいかというと「勉強の止め時がわからない」っていうことである。とりあえず勉強を止めるための決定的な理由が、今の自分にはない。他の人はどこで止めてしまうのだろうか? 「こどもができて時間がとれなくなった」とか「仕事が忙しくなりすぎちゃって……」とか、まぁ色々あるのだろう。勉強を止めるにあたって「これは逃げじゃない。仕方がないことなんだ」と折り合いをつける理由を見つけることは難しい。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...