スキップしてメイン コンテンツに移動

ライナルド・ペルジーニ『哲学的建築 理想都市と記憶劇場』




哲学的建築―理想都市と記憶劇場
ライナルド ペルジーニ
ありな書房
売り上げランキング: 565856



 著者、ライナルド・ペルジーニは1950年ローマ生まれの建築史・思想史家。図像解釈学的な建築研究を試みており、建築の構造から時代の精神を分析しようと言う研究をおこなっているそうである。本書『哲学的建築』でのペルジーニの試みは、建築という概念が認識の概念と分離不可能な時代において建築家は、哲学者でもあった、という観点から「哲学者-建築家」の系譜を描こうとするものだ。その「哲学者-建築家」の原始には、ヘルメス・トリスメギストスがいる。彼が築いたとされる理想都市はアドセンティンは、プラトンの『国家』における理想国家とも統合され、さまざまな変奏を生み出していった……というのがプロローグとなっている。そののちに取り上げられる「哲学者-建築家」は以下の通り。



理想都市国家:トンマーゾ・カンパネッラ


薔薇十字運動:ヨーハン・ヴァレンティン・アンドレーエ


記憶術的建築:ジョルダーノ・ブルーノ


記憶劇場の理念:ジュリオ・カミッロ・デルミーニオ


霊的機構と神殿概念:ロバート・フラッド


驚異としての古代都市:アタナシウス・キルヒャー



 当初のなかで紹介されている順番に並べたが、これらは歴史上に登場した順番になっているわけではない。生年順に並べ替えると……



カミッロ(1480年ごろ)


ブルーノ(1548年)


カンパネッラ(1568年)


フラッド(1574年)


アンドレーエ(1588年)


キルヒャー(1601年)



 という風になる。





f:id:Geheimagent:20100518193428j:image:left


 本書のなかで目を引いたのは、カミッロの「記憶劇場」についての記述である(左:カミッロの『記憶劇場』についての有名な図版)。フランセス・イェイツが言うところによれば、これは「古代記憶術」の結晶的な建造物だった。通常の劇場であれば、観客が座って舞台を眺めるであろうところには、同心円上に秩序体系化された知識が配置され「宇宙」を形成する。利用者は、舞台上にたち、それを照応することによって、さまざまな知識を思い浮かべることができる。この構想に触れると「記憶劇場」がまるで未来からきた夢の道具のようなもののように思われ驚いてしまうが、16世紀にカミッロがこの構想を発表した当時のインパクトは今以上だった。これは言わば(実現されなかった)16世紀理想建築・理想都市計画のマスターピースだったのだ。その後の「哲学者-建築家」は、皆カミッロの影響下にあった、と言う風に本書では言われている。





f:id:Geheimagent:20100518195238j:image:left


 しかし、建築の構造のなかに、世界の構造や知識体系を埋め込む、というアイデアのスゴさには圧倒される。本書でカミッロ以降に紹介されている「哲学者-建築家」のページに載せられた図版は、興味深いものが多く、それだけで愉しくなってくる。左はロバート・フラッドによる「音楽神殿」という作品。フラッドという人も、ルネサンス的というか、医学・錬金術・博物誌など多彩な仕事をした人らしいのだが、この「音楽神殿」構想も『両宇宙誌』(つまりミクロコスモスとマクロコスモスのふたつの宇宙について記した本)に載せられている。柱など、建物の作りからピュタゴラス的な調和(ハーモニー)に従って構成され、いたるところに音楽記号などが装飾として描かれている。この建物のすべてを詳細に分析することによって、誰もが「学問において知得したことによって優れた教師」になれる!! とフラッドは力説していた。





 いやはや……なんとも……と頭が下がる気がするが、著者ペルジーニはこういった「哲学的建築」を喚起することが、現代において極めて重要なのだ!! としている。彼にとって現代の建築というジャンルは「〈高度に知識化されたテクノクラート〉という特殊な階級に限定された占有物として奉仕」しているように見える。昔はもっと感性に訴える「知的な衝撃力と心理的なコミュニケーションの直截性」が建築のなかに溶け込んでいたのだ!! と。「おっ、てめぇさしずめインテリだな!」と言いたくなるような考えだが、たしかに、これらの建築の知的な衝撃力はすさまじい。





f:id:Geheimagent:20090212054733j:image:left 個人的にもっともツボだったのはキルヒャーが考えた「もしもバベルの塔が完成したら」の図(左)。キルヒャーと言う人は、「遅れてきたルネサンス人」などとも評される17世紀の修道士。彼は、この時期のヨーロッパにおける最も権威ある知識人とされていたのだが、晩年はバベルの塔やノアの方舟といった神話的な「驚異の建築」をマジメに分析し続けていたそうである。このバベルの塔の図もその成果のひとつだった。図の奥には、横向きにバベルの塔と地球の図が書かれているが、これは「バベルの塔は地球よりも重いから、完成したらその重みで90度傾いて倒れちゃうよ」の図である。これによって、地球は宇宙の中心から外れ、そもそもバベルの塔が作り出す影によって気候にも影響がでただろう……とキルヒャーは言った。すごい説得力だ!!!





 ……とアホウのように大喜びして終わるのではなく、彼がおこなった古代の建築や都市についてのこうした分析に、16~17世紀の人文的な知が含まれていることにも留意したい。古代エジプトの都市構造のなかに、彼は新プラトン学派的な、ヘルメス主義的な知を見出し、ルネサンス期の「哲学的建築」と接続することで、それらを再統合したのだった。キルヒャーのこの仕事は感動的な仕事だと思う。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...