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今中哲二先生の「低線量放射線被曝とその発ガンリスク」を読んだよ!



専門家への不信が高まり続ける昨今「アイツは御用学者だからダメだ!」「ウソつきだ!」という声がところどころであがっておりますが、そうした批難の声をあげている方々のお話を聞くに(これは、どうやら別な専門家に鞍替えしただけなのではないか……)と思わなくもありません。ある専門家を不信しつつ、別な専門家は信頼できる(かも!)と支持する根拠はどこにあるのか・自分は何を信じているのかもあやふやなまま、不安に煽られて安易な鞍替えをしてしまって良いものでしょうか? そうした態度では、これまでと同様に専門家への丸投げが繰り返されてしまう気がします。「馬だと思って乗っていたのがラバだった!」みたいに騙されたくはないものです。誰もが馬の調教師である必要はございませんが、馬とラバの見分けはつくほどの見識はもっておいて損はないでしょう。




ということで、放射線関連の記事を読んで、見識を高めていこうじゃないか! と思った私がいろいろ読んだ結果を記録するコーナーです。もちろん私は専門家ではございませんから全方面的にシロウトでございます。ですから、間違うことがあるかもしれません。誤解をしてしまうことがあるかもしれません。それに気づいた方がいらっしゃいましたら、遠慮なくご指摘や罵倒をお願いしたいと存じます。直ちに健康へと影響がでるわけではない、と言われている状況を勉強する機会と捉え、有識者の方々にはそうした指摘を《正しい知識》の啓蒙のチャンスと考えていただければ、と考えております。こどもがいきなり文章を読めるようになるわけではありません。誤解は学びなおせばいいじゃない! 今度から線量計にはキャップを忘れないようにすればいいじゃない!*1 





なお、当方はああしろ、こうしろ、といった主張をしようとする者ではございません。シロウトの本分をわきまえつつ、読んでなにがわかったか・なにがわからなかったのかの記録をすることが目的です。










さて第一弾は、京都大学の今中哲二先生のテキストを読んでみました。今中先生は福島での事故からまだ日が浅い頃に飯館へと向い調査をおこなった方で、ネット界隈では「Not 御用学者」系の科学者として知られているようです。このテキスト「低線量放射線被曝とその発ガンリスク」は岩波書店の『科学』という雑誌に2005年に掲載されたもの。この論考では2004年に新聞に掲載された「日本人のガンの 3.2%は診断用 X 線が原因」という記事を発端としながらその記事の検証と、放射線が人体に与える影響モデルの紹介がなされています。当該新聞記事は、イギリスのBerringtonという人による研究結果に準拠しており、それによれば「誰もが日常的に利用している診断用 X 線により日本で毎年約 8000 件ものガン死が発生している」ということになる。え、マジで!? という感じで検証に入っていくわけですが、これには別な専門家が反論していたのですね。Berringtonは、ガン死リスクの計算を「しきい値なし直線モデル」を使って計算しているんだけれども、これは一度にたくさんの量の放射線を浴びた人(広島・長崎とか)のデータをもとにして作ったモデルだから、X線みたいにちょっとの量の放射線のケースには適用できない、というのがその反論でした。





「しきい値なし直線モデル」ってなんですか? という話なんだけど(これは今いろんなところで解説記事が読めると思いますが)放射線は受けたら受けた分だけ、リスクは高まっちゃうぜ、という考え方の模様。今中先生は広島・長崎の被曝者のデータをもとに、このモデルについての評価してくれている。曰く



広島・長崎データに基づくガン死リスクは、高線量データから低線量データへ外挿して得られた値であるとよく言われるが、0.1Sv(100mSv)くらいまではかなり信頼できる結果が得られているといってよい。本稿で問題にしているのは 1~10mSv の被曝影響であるが、LSS データからその範囲について疫学的に有意な影響を観察するのは不可能であろう



とのこと。これはこのモデルは値が高いところから100mSvぐらいまでは良い感じになってるけど、1~10mSvぐらいだとなんとも言えんよね……と理解して良いのであろうか。ただ、こういう分析ができるのとは別に、国際放射線防護委員会(ICRP。緊急時は年間20mSvまで被曝してOK、と言っている人たち)や放射線影響国連科学委員会は、人間以外の生物への影響とかから、こうしたなんとも言えないところにもこのモデルを適用しても変じゃないよ、と判断しているんだって。





でも、やっぱりしきい値なし直線モデルはダメなんじゃね?(低線量での被曝のときはリスクが高まるとはいいがたいんじゃね?) という人もいるのね。それが被曝によってDNAが壊れても、生き物はそれを修復できるじゃん? だからちょっとの被曝だったら全部回復できちゃうから影響ないんじゃね? という立場をとる「しきい値説」の人たち。この人たちのなかには、低線量での被曝は健康に良くなる、という人もいる。それとは逆に、欧州放射線リスク委員の人たちは「線量・効果関係が極低線量でいったん極大値を示すという『2相(Biphasic)モデル』」を提唱していて、低線量でも危ないポイントがある! と主張しているそう(でも、これはこの時点ではデータが揃ってなかった模様だ)。いろいろあるけど、今中先生としては低線量被曝でも、しきい値なし直線モデルを採用しておくのが良いのかなぁ~、と考えていたみたいです。それを裏付けるデータもいろいろ出てたんだって。Berrington論文に関しては、まぁ……X線による3.2%のガン増加を直接観察するのは難しいよね……(ガンの原因はいろいろあるし)という評価です。





以上をまとめると





低線量被曝の人体に与える影響は、いろんなことを言う人がいてぶっちゃけよくわかんないケドも、低線量でもリスクはあがるよ、というモデルを採用しておいても十分合理的なアプローチである(とこの当時今中先生は考えていた)





ということでよろしくて? 個人的には『ニュートン』6月号に書いてあった話を少し掘り下げて理解することができて良かったです。



Newton (ニュートン) 2011年 06月号 [雑誌]

ニュートンプレス (2011-04-26)





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