スキップしてメイン コンテンツに移動

クリント・イーストウッド監督作品『ミリオンダラー・ベイビー』




ミリオンダラー・ベイビー [DVD]
ポニーキャニオン (2005-10-28)
売り上げランキング: 7564



俺内映画祭の最後に『ミリオンダラー・ベイビー』を。『ミスティック・リバー』の次の年にこんな作品を撮ってたとは……と、この時期のイーストウッドはどうかしてたのではないか、という超弩級のドンヨリ具合。心に傷を負った人間同士の交流によって傷が癒されていく、凡庸なサクセス・ストーリーかと思いきや、ええ……と背中の方から声を出したくなる欝展開。素人目にボクシングって「要するに殴って倒したほうが負け」というすごくシンプルな原理の上に成り立つスポーツのように見えますけれど、その原理は選手の強さが身振りの洗練によって演出上分かりやすく画面に現れるのにも機能しているように思われ、主人公の女性ボクサー、ヒラリー・スワンクの身振りがどんどん洗練されていく様子は、彼女が自信を失った状態から少しずつ生き生きとした生を取り戻していく過程と重なって見える。しかし、それがこんな風になってしまうなんて……。『ミスティック・リバー』も、生の脆弱性が暴き出されるような映画だったけれど(たまたまある事件の被害者となった人間のその後の人生が悲惨なものとなる)、これもまた《何か》が起こって人生がメタメタになってしまう話として解釈できる。それが何気なく、平凡な人生であっても《何か》が起こりうる。その可能性は普段は隠蔽され、そして我々の側でも忘却しているのだ(それを忘れられない人間は神経症的、と呼べるだろう)。こうして、どんな人間も綱渡りのような生活をしている、という恐ろしい真理を見せつけられると、文字通り魂消てしまう。そういえば、先日同じ職場に勤めている人が『ミスティック・リバー』を観て「今の時期にあの映画はキツい……」とこぼしていたが、そのキツさとはもしかしたら人生の綱渡り性を見せ付けられ過ぎて食あたり状態、みたいに言えるのかもしれない。あんなに大きな地震が起こるとは普通の人は考えてなかったはずだし、原発が壊れるとは普通の人は思ってなかったはず。そうした「起こるかもしれない」という可能性に対する不安に対してどのように振舞わなくてはならないのか。忘却すれば楽だけれど、教訓もまた忘れてしまう。なるたけ不安を抑えつつ、教訓を得るようなやり方が上手いリスク・コントロールなのだろう。人間の尊厳の問題よりも、リング上にズギャーンと現れる生の裂け目を見せ付けられて、そんなことを考えた。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...