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マイケル・ギルモア 『心臓を貫かれて』



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1976年、ゲイリー・ギルモアという男が2人の男性を殺害した廉で死刑を宣告される。当時のアメリカでは死刑制度廃止の声が高まっており、彼の処刑もモラトリアムに置かれるところだった。しかし、彼は「死刑にされる権利」を要求し、センセーショナルな社会的事件として世界中から注目されることになった。1977年、ゲイリー・ギルモアは「世界一有名な死刑囚」として本人の希望通り、銃殺された。「ゲイリー・ギルモア事件」について簡潔にまとめるなら以上のようになるだろう。

本書は『心臓を貫かれて』はその当事者であったゲイリー・ギルモアの実弟によって書かれたノン・フィクションである。ゲイリー・ギルモアはどのような家庭で育ったのか、どうして彼は2人の男を殺さなくてはならなかったのか。事件の謎解きのごときノン・フィクションは目新しくない。ギルモアが育った家庭が孕んだ大きな問題の数々は、犯罪者を生む背景としてオーソドックスなものとさえ言えるだろう。にも関わらず、本書は衝撃的なものとして読み手の前に現れる。

とても興味深く読めたのは、ゲイリー・ギルモアを生んだ父と母の系譜が辿られ、また、一族を育てた土地の歴史まで深く探求されているところだ。ゲイリー・ギルモアの母、ベッシー・ギルモアは、ユタ州のモルモン教徒の家庭に生まれ育った。本書で彼女の生い立ちが語られるときに挿入されるモルモン教徒の教義と歴史の血なまぐささ、暴力性はそれ自体で驚くに値する。そして、筆者が繰り返し語る悲劇的な暴力の物語は、土地に染み付いた暴力が亡霊として現れ、引き起こされたもののようにも読めてしまう。まるで、その亡霊がギルモアの一族の血に誘われてくるように。ある傷ついた家族のパーソナルな物語は、そうして土地の血まみれた物語へと読み替えることが可能となる。個人的な精神史と大きな歴史の交換が本書を単なる「犯罪者モノのノン・フィクション」で終わらせていないのだ。

原書は1994年に発表され、村上春樹による翻訳は1994年から1996年におこなわれた。この期間には『ねじまき鳥クロニクル』の第3部の執筆がおこなわれ、そして神戸で大きな地震が起こり、1996年の初め頃には『アンダーグラウンド』のための取材がはじまっている。『心臓を貫かれて』を読んでいて思い浮かべていたのは『アンダーグラウンド』という本は、もしかしたら『心臓を貫かれて』という本がなければ書かれ方が大きく変わっていたのでは、という風にも思われた。2011年に出版された『村上春樹 雑文集』という本には『アンダーグラウンド』に寄せた「東京の地下のブラック・マジック」という文章が収録されている。『心臓を貫かれて』を読んだあとに、この文章を読み返してみると『アンダーグラウンド』もまた個人的な精神史と大きな歴史の交換がおこなわれた本だったと考えることができた。

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