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村上春樹 『羊をめぐる冒険』

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ちょっと前から『羊をめぐる冒険』を読みなおそうと繰り返し思っていた。この小説を初めて読んだのは20歳ぐらいだったハズで、その記憶が確かならば、およそ10年ぶりに通して再読したことになる。ちょうど小説の主人公である「僕」も小説内で30歳になろうとしていて、わたしも来年の3月で30歳になろうとしていた。年齢的には「僕」に追いついてしまったわけだが、彼が素敵な耳をもつガールフレンドに「良いバーはうまいオムレツとサンドウィッチを出すものなんだ」と語れるのに対して、わたしはまだそんなことをサラリと言えるところまで達していない。小説内の時間は、1978年で、当時のアラサーとは今のアラサーよりも成熟していたのか、もっと大人文化があったのか、という感想を思わず妻に伝えたら「そういう時代だったんでしょ。今みたいにチェーンの居酒屋なんかなかっただろうし。飲みにいくといったらバーだったんじゃないの?」となんとも的を射る答えをもらった。ほかにもソルティードッグの名前がパッとでてこない女性がでてきたり(今ではコンビニでも瓶入りのソルティードッグが買える)、飛行機のなかで煙草が吸えたりする(今でもたまに座席に灰皿がついた飛行機に乗ることがあるけれど)1978年の描写は、なかなか驚くべきものがある。再読して気づいたことだけれども。

しかし、舞台が昔だろうが、村上春樹の小説の筋というのはこの頃からずーっと変わってなくて『羊をめぐる冒険』なハズなのに、そんなに主人公は冒険していない。そして、やはり主人公の敵は、なんらかのシステム的なものである。言ってしまえば、村上春樹の小説は、ワタミの社長みたいな象徴的悪と闘っている感じがある。ただし、敵のスパイが気づいたら後ろに立っていて、首の後ろあたりを手刀で殴られ、気絶させられる、とか、激しい銃撃戦、とか、そうした活劇的要素は一切ない。なにか超自然的な能力をもった女性に導かれるようにして、主人公は冒険するというか、移動していく。村上春樹の長編のなかでも、もしかしたら一番主人公がなにもしない小説なのではなかろうか。それで象徴的悪に大勝利するわけでもなく、痛み分けみたいな形で、青春喪失といいますか、青春との別れ、というか、さようなら若さ、みたいな話に着地していく。そのへんのしょんぼり具合いは、まー、30歳目前でこういうのってあるかもね……と思う。

それにしても、こんなにトゲがある表現を書いてたんだな、村上春樹。いま初めて読んだら「なにこれ、うぜえ」って思うかも。

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