スキップしてメイン コンテンツに移動

ロベルト・ボラーニョ 『野生の探偵たち』

野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)
ロベルト ボラーニョ
白水社
売り上げランキング: 298,595

野生の探偵たち〈下〉 (エクス・リブリス)
ロベルト ボラーニョ
白水社
売り上げランキング: 483,516
チリ生まれの小説家、ロベルト・ボラーニョの長編を読む。70年代のメキシコにおける前衛詩人のグループを描いた青春群像劇……として読むこともできるのだが、読む人によって小説の内容の理解が大きく異なるんじゃないか。

3部構成の1部と3部は、詩人を目指している若者の日記という形式で書かれているのだが、メインとなっている2部は、前衛詩人グループのリーダー格だった2人の詩人(うち、ひとりはボラーニョ自身の人格が投影されている)について総勢50人を超える人物がインタヴューに応えているという形式になっている。物語の主人公はたしかにリーダー格の2人なのだが、彼らは常にだれかの語りのなかでしか登場しない。なにか物語の中心がぽっかりと空位になっているのだが、空位だからこそ、逆説的に中心の存在が際立つようである。で、小説のなかにはタイトルにある「探偵」はでてこない。読者自身が探偵のように、物語の謎を追うようなしかけになっている。

Wikipedia(英語版)のボラーニョのページによれば、本作がコルタサルの『石蹴り遊び』と比較されているというのだが、それも納得(あとキューバのホセ・リマという作家の『楽園』の比較対象にあげられている。ホセ・リマの小説は翻訳がない)。『石蹴り遊び』のように断片がバラバラに散りばめられているのではなく、時間の流れは直線的に進んで行くので『野生の探偵たち』のほうがかなり読みやすい。ただ、なにせ50人以上の語りだから、語りの種類は一辺倒でなく、かなり多様だ(インタヴュイーのなかには、主人公そっちのけで奇妙な半生を語りだす人物もいたりして)。そういう語りが咲き乱れっぷりがすでに面白い。全体としても面白い小説だし、全体を作るひとつひとつのパーツも面白いのだ。

スゴい作家だとは聞いていたが、小説はこんな風に書けるのか(こんな小説の読ませ方があるのか)と魂消るような作品であった。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...