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辻静雄 『フランス料理の手帖』

フランス料理の手帖 <辻静雄ライブラリー 1>
辻静雄
復刊ドットコム
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辻調理師専門学校の創設者、辻静雄によるエッセイ集を。収録されている文章の初出は1971 - 1972年に『婦人画報』へと寄せたものがメインとなっているという。それから40年以上が経ち、日本におけるフランス料理をめぐる環境はまるで別物であるはずで、おそらく世界で一番にリーズナブルに美味いフランス料理が食べられる都市は東京なのでは、という気さえする、つまりは日本人も日本にいながら「ホンモノのフランス料理」を体験できるようになっている。けれども、この40年前の文章が醸し出す、高踏な「ホンモノ感」は未だに恐るべきものだ。

伊丹十三と辻静雄、このふたりが書くホンモノの外国(もっと狭い言葉を使えば、ホンモノのヨーロッパ)には、我々は永遠に追いつけないのではないか。もちろん、彼らが書いた外国は、もうすでに存在しないパリであり、ローマであり、ロンドンであり、ニューヨークなのだ。(過去の都市の様相を切り取ったものに過ぎない)。しかし、だからこそ、日本人が考える外国の理想形としてあり続けるのかもしれない。もはや存在しない理想の外国が、彼らの文章の中には存在する。

さすが、元新聞記者で、文学を勉強していただけあって、文章もめちゃくちゃに上手い。食とどう向き合うのか。日本の食文化を変えるきっかけを作ったひとりの求道者からは、いまだに学ぶべきところがある。大名著。あまりに高踏的すぎて「はっ、お前らの食べているフランス料理なんか所詮ニセモノ、俺が食べているモノがホンモノなのだ」と過去の地点から言われる気がするが、やむなし。もはやこういう文章を書くことが許される人間もいないのだろうな……。

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