基本的には季節の食材をどのように家庭で調理したら良いのかを教えてくれるのだけれども、作法であったり、あるいは当時(1970年代前半)の日本人の食生活に関する小言のようなものも含まれている。腹さえふくれれば料理なんてなんでも良い、という家庭には「まるでボイラーに石炭を投げ込んでいるように食事をなさるご家庭が、だんだんふえてきているようで情けないことです」と嘆く。
こうした点も含めて、先日読んでいた土井善晴の『おいしいもののまわり』と似たことが数多く書いている。しかし、これは読む順番が逆、というのが正確なところで、似ている、というか、湯木の料理に関する哲学が、土井善晴にも流れている、ということなのだろう。「家庭料理はものの素直さというか、あんまりものをごたごたといじりまわして、複雑にしないということです」という湯木の言葉を、土井はそのまま受け継いでいる。土井は「吉兆」の流れを組む「味吉兆」で修行していたのだから当然というべきか。
『おいしいもののまわり』について書いたときに、土井が批判的にとりあげている「ご飯の炊き立て神話」について触れた。『吉兆味ばなし』には、この神話ができあがった謎を解き明かすような文章がある。
昔は法事というと料理人が法事をやる家に行って料理を出すものだったらしい。湯木はそこで「熱つ熱つのご飯を差し上げたい」というこだわりを持っていた。お坊さんがお経を読み上げたところで、すぐに炊き立てのご飯を出す。それでこそ、プロの料理屋なんだ、と。
一方で、湯木はこんなことも語っている。「このごろは手のかからないもの、早くできるもの、変わった料理、料理屋まがいの料理、そういうものを手あたり次第に家庭に持ちこむ」。「家庭料理はプロの料理とは違うものであり、家庭料理が料理屋の真似事をする必要はない」と家庭と店とのあいだに湯木ははっきりと区別をつける。しかし、その境界線が湯木の時代からすでに曖昧になりつつあり、家庭に「料理屋まがいの料理」が持ち込まれていたのだ。
もしかして、土井が指摘する「炊き立て神話」とは、この境界線の曖昧さによって成立したんじゃなかろうか、とわたしは思った。つまり、湯木がプロとしてこだわった「熱つ熱つ」の価値が、家庭に持ち込まれることで神話が誕生したのでは、と。
文字に起こされた上品な関西の人の言葉は、リズムも柔らかさも心地よい。1901年生まれの湯木はこのとき70歳を過ぎていたはずだが、その年齢でも常に新しい料理を追求していたことが垣間見えるのも驚嘆した。「厚揚げ一つ切るのにも、一つの変化というものを、やはり人間は持ち続けていかないといけません。変化を絶えず求めるということです」。至言。
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