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蓮實重彦 『映画狂人日記』

映画狂人日記
映画狂人日記
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蓮實 重彦
河出書房新社
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これは文庫化とかしないのかな。蓮實重彦が90年代に書き残した映画評論をまとめた本を読む。ブログで映画について書かないせいなのか、最近インターネット経由で知り合った人から『映画に興味がない人』という扱いをされたんだけれども、そんなことはないのである。結局こうして、蓮實先生の批評から入る、というテクスト先行型の人間ではあれど。言及されている映画のほとんどが見てないけども、でも面白いし、案外見ている作品も多いからなおさら面白かった。イーストウッドの『許されざる者』評なんか「『許されざる者』は、断固として許さない映画である」という書き出しですよ。笑いを噴き出しながら、サイコー、と思った。

時期的には、ちょうどリュミエール兄弟によって「映画」が発明されてから100年経つか経たないか、映画産業が不況っぽい感じの時期だったらしく、日本の劇場もガンガンに減っていて「映画が都会の特権的な文化(!)としてしか生き延びられなくなっているこの時代」と筆者は評している。いわゆる単館系のハコが都会に集まって、都会に縛られた文化を形成した時期、と言えるのだろうけれど、その単館系の映画館がここ数年でバカスカ閉館している今になってこうした文章に触れるのはなんだか趣深いものがある。

筆者が言う「ハリウッドの二度目の死」についても触れておきたい。この当時のハリウッドを筆者は、昔と違って映画関係者が増えすぎたので、増えすぎた関係者を食わすために大作映画が必要だ、でも、そういう大作映画はもうハリウッドの二度目の死に直結している、ヤバい、と警鐘を鳴らしている。のだが、現在も大作は作られ続けているし、ハリウッド映画は死んではいないようである。その読みの不正確さを嘲笑うわけではない。人を食わすために、大作映画が必要だ。この視点は、今でも、そうだよな、映画「産業」って言うからにはそういうことが必要だよな、という気づきをあたえてくれる。

タルコフスキー、武満徹、黒澤明、淀川長治といった人物への追悼文も注目に値するけれども、個人的に最もサイコーと思ったのは、カサヴェテス論。ここ数年、劇場で上映されるときにはなるべく行くようにしてる監督なので、よく語られている内容がわかる。それだけの話なのだが、読むと同じ映画が見たくなる、そういう文章。ブルーレイのボックス、買っちゃおうかな。

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