スキップしてメイン コンテンツに移動

『現代思想』2016年8月臨時増刊号 総特集◎プリンス1958-2016

現代思想 2016年8月臨時増刊号 総特集◎プリンス1958-2016
松浦理英子 向井秀徳 西寺郷太 及川光博 萩原健太 高橋健太郎 ピーター・バラカン 大谷能生 湯浅学 吉岡正晴 佐々木敦
青土社 (2016-07-22)
売り上げランキング: 117
こないだ読んだ『ミュージックマガジン』の別冊とは、西寺郷太、萩原健太、高橋健太郎という書き手が重複。しかし、読み物としてのヴォリューム感、情報量は『現代思想』のほうがはるかに上回っている。基本的にはどの書き手も、プリンスを語るうえでのいくつかのキーワード(セックス、気持ち悪さ、そして、それと相矛盾、あるいは共和する、プラトニックさ、カッコ良さ)をなぞっていて、紋切り型的、といえば、紋切り型の評論と言えるものもあるのだが、切り口の良さや視点の鋭さを感じさせるものが多く含まれている。

たとえば、北丸雄二によるプリンスと「エホヴァの証人」の関係を考察した文章は、ひとりのアーティストに及んだある宗教の影響、という「点」だけを見る評論で止まらず、アメリカの宗教カルチャーという「面」に視点を広げてくれる(これは「プリンスと人種をめぐる諸相」と題された出田圭による文章にも同じことが言える)。読みながら、ある種の特別なアーティストとは、このように別な世界への窓になってくれるのかもしれない、という感想を持った。

ほかに面白かったのは宇野維正による「踊れなくなったプリンス」。「杖がないと歩けないぐらい下半身の状態が悪いのだが、宗教的な理由により手術を拒否していた」という話はプリンス・ファンには有名な話なのだが、そんな報道が出た後も、スーパーボールのハーフタイムで派手なパフォーマンスを披露したりしてたから「手術の話とかなんだったのよ……」とみんな思ってたハズなのである。そこで、この文章はプリンスの身体、そして健康問題に着目し、本当はやはりプリンスはボロボロだったのだ、という現実をファンに気づかせる。思うに、これは逆方向の「神格化」を進めている。ボロボロだったのに、だれもそのボロボロさに気づかなかった、だから、プリンスはスゴい、と。

あと、及川光博へのインタヴュー記事も良かったし、向井秀徳と西寺郷太がミュージシャンの視点から「プリンスのすごさ」を楽しそうに語りまくる対談も良かった。岡村靖幸じゃなくて、スガシカオじゃなくて、及川光博、というセレクト。プリンスからの影響を公言しているアーティスト(なんせ、「王子様」というキャラクター)だとは知っていたが、わたしは「この人、そんなにプリンスっぽいか?」と思ってきたし、まぁ、いまもそんなに「プリンスっぽさ」を感じないのだが、岡村靖幸にコンプレックスを抱いていた、とかスゴく良い言葉が引き出されている。

プリンスへの入門書、にするには内容が重い本ではあるが、ピーター・バラカンの談話は、プリンス入門に良いな、と思う。「歌詞に描かれている男女の関係性では、常に男性の側が弱い立場にいます」。これは、プリンスの歌詞をちゃんと読むと、だれもが気づくハズだが、とても重要な指摘だと思う。岡村ちゃんに引き継がれてるのって、一番はこの部分だと思うし。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...