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淀川長治 蓮實重彦 山田宏一 『映画千夜一夜』

映画千夜一夜〈上〉 (中公文庫)
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映画千夜一夜〈下〉 (中公文庫)
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淀川長治、蓮實重彦、山田宏一、3人の映画評論家による鼎談録を読み終える。これ、なかなか素晴らしい本で、もう、映画が好きな人がさ、ひたすら「あの映画は良いですよね(良いよね〜)」、「あの女優が好きなんですよ、実は(えー! どこが!!)」みたいな話を続けてるだけなんだよね。オタクの人が、飲み屋でやっているのと一緒。蓮實重彦も全然難しい話をしないのね。「あの女優は、どうもバカっぽい顔してて嫌なんですよ」とか言って、淀川長治から「なにそれ、よくそんなこと言えるね!」と叱られたりしている。そのガチャガチャした語りがとても良くて。蓮實重彦がなんか言うと「まー、普段は難しいことやっている先生なのに、ホントは庶民的なものも好きなのね!」とか淀川長治に嫌味を言われたりするの。面白いです。

実質的には「淀川長治 対 蓮實・山田」という構図で話が進むことが多くて。ふたりの映画評論家が、自分が生まれる前に上映されていて、もはやフィルム自体がないから見ることが叶わない映画について、先輩から根掘り葉掘り聞いて「うわー、それは良い映画っぽいなー、見たかったなー」みたいな展開が多いのね。そこも良いんですよね。失われた映画を物語ることで、仮想的に蘇らせているみたいでさ。すごく貴重な話もいっぱい入ってるのね。映画って新しいメディアだけれども、もう、ずいぶん失われたものがあるんだな、と思わされるし、その失われたものは、淀川長治みたいな人が亡くなったことによって、もうどうにもならなくなってしまったんだな、とか思ってしまって、ちょっとセンチな気持ちにもなる。

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