料理研究家、土井善晴による今年2冊目の本。1冊目の『おいしいもののまわり』も名著だったが、これまた名著。全書が料理道具から日本人の食を再考するようなエッセイだったのに対して、本書は「具沢山の味噌汁、漬物、そして白いご飯」というメニューがあれば、日本人の食生活は健康的に成立する、という、ある種のミニマリズムの提案であり、繁忙な現代社会において持続可能な日本食の提案をおこなった本。グルメ本でもなければ、料理本でもない。食に関する哲学の本だ。
日本食文化に関する基本理念は、かの高級料亭「吉兆」の「開祖」、湯木貞一の著作に通ずるものがある。とくに家庭料理・日常の料理と、プロが作る料理の明確な切り分け。湯木貞一の著作から引こう。「家庭料理はプロの料理とは違うものであり、家庭料理が料理屋の真似事をする必要はない」。しかし、いつのまにかプロのような、手の混んだ料理をすることが、イケてるものとされて、あたかも手がかかればかかるほど「妻 / 母親の愛情がこもった料理」として解釈される、ような風潮ができあがっている。
いや、そうじゃないだろう、日常の料理は、あくまで日常の延長であり、普通のものであるはずだ。一汁一菜で良いじゃない、味噌汁なんて何を入れたって大抵美味しいし良いじゃない(それは手抜きなんかじゃない)、毎日特別なものを食べる必要なんかないじゃない。ハレとケ、という民俗学的な概念を持ち出しつつ、著者は日本人の食生活をもっと「普通なもの」に還元しようとする。「普通においしい」という若者的な表現。これだ、これで良いんだ、と。
「もし、切り干しやひじきを食べて「おいしいっ!」と驚いていたら、わざとらしいと疑います。そんなびっくりするような切り干しはないからです」。本書のエッセンスは、この言葉に集約されているように思う。
調理をシンプルにする、その代わりに味噌汁の具を四季で変化する旬のものに変えていく、そして、四季で変化する食材の風味をもっとじっくり感じてみる。そうすることで、手の込んだ料理から引き算したことによって生まれた余白を埋めることが十分に可能だ。そうした微細な変化を感じることが、日本人的な感覚であったはずではないか。料理を飛び出して、日本文化、日本人の感覚論にまで話は及ぶ。
「です、ます」体で書かれ、テレビで著者が話す、あの穏やかな口調が再現されるようなリズムが本を支配している。だから、読み心地がとても柔らかい。けれども、話のスケールはとても大きい。
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