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表紙がエロい




失われた時を求めて〈8〉第四篇 ソドムとゴモラ〈2〉
マルセル・プルースト Marcel Proust 鈴木道彦
集英社



 ここ最近ずっとプルーストを読んでいて、他の小説が読みたくなった。ので「よし、一気に片付けてしまえ!」と家にある8巻を丸一日かけて読み終えた。えいやっ!という感じである。ここまでがプルーストの生前に刊行されたものらしい。今まで読んできたなかでは8巻が一番ドタバタしていて面白いかもしれない、と思った。病弱で夢見がちなお坊ちゃんである語り手よりも、貴族で男色家でピアノが上手いシャルリュス男爵のほうがよっぽどキャラ立ちしていて、そのシャルリュス男爵がものすごく動いて主役を食ってしまってるようなところは『ハイ・フィデリティ』のジャック・ブラックみたいだ。


 シャルリュス男爵は美少年ヴァイオリン弾き、モレルのパトロンになっているんだけど、この二人の愛人関係(といってもモレルの方では男爵を利用しているような感じである)を描いた際の男爵の倒錯っぷりがとても良い。途中で裏切られちゃって二人は別れちゃうんだけど、男爵の激しい嫉妬だとか策略(決闘騒ぎをでっちあげたりする)がなんとも醜い。そこが喜劇っぽく笑えるところだ。


 あと「列車旅行と自動車旅行の違い」について語り手が長々と語るところが面白かった。あー、なんとなく分かるなぁ、と。私も列車旅行が好きだ。





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