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モジュール・コンポジションのための習作













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 1.メイン・プログラムはサブ・プログラムを呼び出すために一定のテンポが設定されたものでなくてはならない。


 2.メインのモジュールによって呼び出されるためのサブ・モジュールとなる音節はそれぞれ調性的に正しいものでなくてはならない。しかし、リズムにおいては自由である(ただし、テンポは守ること)。


 3.サブ・モジュールは再帰かつ再入可能であり、どの瞬間に呼び出されたとしても調性的に正しく作動しなくてはならない(サブ・モジュール間の相互的な作動においても然り)。


 4.プログラムの終了条件は任意によって取り決められる。オブジェクトの組み合わせとそれらの感覚的臨界点もまた終了条件となり得る。


 5.モジュール・コンポジションによって作られた作品は必ずしも、書き起こされたエクリチュールを持つ必要がない。しかし、それは検証者によって音楽と認められなくてはならない。


 6.無限ループはエラーではない。しかし、それらが検証者によって強制的な終了を指示された場合は無条件にその指示に従わなくてはならない。


 7.作曲者は必ずしも泥酔状態で作業を行わなくてもよい。なお、モジュール・コンポジションの提案者はこの提案を泥酔状態において行っている。


 8.モジュール・コンポジションに従った作品を制作する場合、ACIDという音楽製作ツールが最も有効である。





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