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いらない本を処分するよ、のその後



いらない本を処分するよ - 「石版!」


 こちらについてはすでに締め切りました。さきほど、ご連絡くださった方々全員に返信をしました。予想外にたくさんの方々からメールをいただけたので、残念ながらすべての希望に応えることはできなかったのですが、リストにあげた本のすべての貰い手が決めることができたので良かったです。


 しかし、こういう風に一度本を処分しはじめると本棚を眺めていて「あれ、これもいらねーんじゃねーの?」と思う本がたくさん出てきたりする。とくにブログ論壇(もはや死語か)で一時期流行ったメディア論関係の本なんか(キットラーを除いて)一様にいらねー、とか思ってしまう。面白い本が結構多かったんだけど。ナム=ジュン・パイクが文章寄せてる本とか。


 あと、ピンチョンも新しい全集が出ちゃうから、いらねーんじゃねーの、とか思ったり。さすがにこれは売ったほうが良いのかもしれないけど。「自分、本好きだなぁ」って思ってたのが、案外全然思い入れなくてびっくりしたり。あと、処分した先から本が増えてるのも問題だ!





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