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村上春樹『村上朝日堂はいほー!』『うずまき猫のみつけかた』




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 夏休みはもう終わりだと言うのに、個人的なお休み気分になってしまったので、ボヤーッとしながら村上春樹のエッセイを二冊続けて読み終えました。読んでいて「ああ、こういうことが言いたくて、ああいう小説を書いてたりするんだな」と考えるヒントになるような点もいくつかあり、なかなか面白く読む。例えば、システムが嫌い、であるとか、原理主義が嫌い、であるとか、そういう、およそ個人の自由とか、主体の自由に反しそうなものに対しての嫌悪感、そういうものを確認できるのですが、それは小説の内容ともリンクしていく気がします。





 とはいえ、そういう考えに対して、私が全面的に同意できるわけではなく「ふーん、こういうことを考える人もいるんだなぁ」とか思うだけなんだけれども、やっぱりここまで「目の前に自由があったら、それを選ぶべきだ!」と主張するのは特殊な人なのかもしれない、とも思う。例えば、『はいほー!』では、学校における制服について語っている部分があるのだが、着るものの自由を奪う(選択肢を目の前から消してしまう)ということが悪いことのように語られる。「着たいものを着るのが正しい」という主張はたしかに真っ当なようにも思えますが、しかし「着るものを選ばなくて良い(とりあえず、それを着ていればOK)」という簡便さについてそこでは全く考慮されていません。そのあたりが少しひっかかる。





 多様性があったほうがいい、選択肢は多いほうがいい。こういった主張を否定するわけではないけれども、選択肢が多いことのリスクについて考えなければ、その主張は「自由原理主義」へと簡単に転落してしまう気がします。





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