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クリント・イーストウッド監督作品『グラン・トリノ』(再見)




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 クリント・イーストウッドの最新作をDVDで観なおしました。劇場で観たときにうっかり見逃していた発見がいろいろあって面白かったです。たとえば、イーストウッドが真っ暗な部屋でひとり、一粒の涙を流すシーンとか(画面が暗すぎて気がつかなかった)。最愛の妻の葬式ですら流さなかった涙があのシーンで流される、というのはちょっと過剰な演出なのかもしれないけれど、やはり胸が熱くなりますね。あそこからイーストウッドは、他者に救済をもたらすための壮絶な受難へと突き進んでいくわけですが、この自己犠牲は晩年のトルストイの思想とも共鳴するかのように思われました。教会で告白を行った後に、イーストウッドが神父に対して「俺の心は安らいでいる」という一言を返すのだけれども、自らが犠牲になるという決意が彼の魂に安息を与えているのだ、と思うと非常に感慨深いものがあります。「恋とは自己犠牲である。これは偶然の依存しない唯一の至福である」(トルストイ)。





 モン族の祈祷師から予言めいた言葉を与えられるシーンは、劇場で観たときからすごく気になっています。今になってもうまく言葉に言い表せないのですが、モン族の祈祷師から与えられた言葉が、イーストウッドの胸にビシビシと突き刺さっていくところに、啓示のような効果を感じます。息子であったり、隣人であったり、イーストウッドと関わりを持つ登場人物は、それぞれ多様に彼を理解している。息子であれば「堅物で、愛のない人間」、隣人の少女であれば「堅物だが、正義感に溢れた強い人間」という風に。しかし、あのモン族の祈祷師はまったく違った立ち位置から、イーストウッドへと言葉を授けるのですね。それは言ってみれば、超越的な視点、もう少し言えば、神の視点、ということができましょう。





 その前のシーンでは、イーストウッドが読んでいる新聞の占いコーナーに「今日が人生の岐路になるかも」的なことが書かれている。これを彼は「くだらない!」と切り捨てるのですが、これがちゃんと暗示になっている。そして、これがモン族の祈祷師による啓示へと繋がっていくのも素晴らしいのですが、この暗示と啓示がその後の物語を支配する……とは言わないまでも、物語の意味を読み取る際の重要なコードとして機能していくように思われます。暗示的な占いもまた、超越的な場所からイーストウッドに与えられる言葉であります。以上のことから、キリスト教的な神の存在を意識せざるを得ない映画であると思いました。





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