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平井浩編『ミクロコスモス 初期近代精神史研究 第1集 』





 すでに各所で話題となっている『ミクロコスモス』の第1集を読了。編者である平井浩氏に関しては、私は親交のあるid:la-danseさんのブログにものすごく厳しいコメントをする方……という(大変失礼な)知識しかなかったのだが、この場を借りて「このような素敵な本を編集していただいて、ありがとうございました!」という感謝の念を記しておきたい。元より「初期近代精神史」という分野について門外漢であるため、この本がどれだけ貴重なものなのか実際のところはよくわからないのだが(そもそもそういった学問的な価値の高さはまったく私には関係ない。門外漢だから)、とても面白かった。脳内で発火が起きること、多数*1



(『ミクロコスモス』)の第一号は、現在の初期近代思想史研究の現場で、いかなる問題が論じられているのかを示す、奥行きの深い入門書となっていると思います。


http://twitter.com/adamtakahashi/status/8764272771




科学が自然哲学からテイク・オフする以前の初期近代の思想というのは、主題も方法も多様だったと思うのです。この論集を入門書と申したのは、その魅力的な世界を覗き見るための、(限定的ながらも)適切な入り口を幾つか提供してくれているのではないかと思ったからです。


http://twitter.com/adamtakahashi/status/8768488882



 以上は『ミクロコスモス』が刊行される以前にid:la-danseさんこと、adamtakahashiさんからいただいた前情報からの引用。「魅力的な世界を除き見るための」「奥行きの深い入門書」とは言い得て妙である。私はこの本を読んで、15世紀~18世紀までの思想・科学世界の豊かさに一発で魅了されてしまった。一般向けの、浅く広く、流れのみを拾うような類の入門書のスタイルではない。しかし「論文と研究ノート」のコーナーでは、世界を観察するための定点としてテーマが設定され、そのポイントから深めに「世界を除き見る」ことができる。





 そこで描写されている世界観は、我々が今生きている世界観とは大きく違ったものだ。無理やりに、そういった「違った世界を知ること」によって教訓を得ようとするならば、「あの世界」と「この世界」を相対化することが必要だろう。たとえばパラケルススの医術に対して、現代の医学を布置することで、「我々の信じる科学」の自明性を崩し、また別様に捉えることができよう。





 まぁ、そのように無理やり教訓を生み出そうとしなくとも(そもそも本を読んで教訓を得たい自己啓発マニア的な心性を持つ人たちは、手に取ることがないだろうから)単純な知的好奇心を満たしてくれる読み物として『ミクロコスモス』は成立しているように思われる。どの論文にもダイナミックなドラマがある。とくに冒頭の『記号の詩学 パラケルススの「徴」の理論』や『百科全書的空間としてのルネサンス庭園』のエレガントな記述は読んでいてとても興奮してしまった。第2集も予定されていると言うことなので、今後が楽しみなシリーズだ。




*1:その発火の過程は、ツイッターにも投稿していた。id:microcosmos2010では、それらの私の「つぶやき」が拾われている





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