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イエイツの『記憶術』を読む #11




記憶術
記憶術
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フランセス・A. イエイツ
水声社
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第十六章 フラッドの〈記憶の劇場〉とグローブ座


 残るは二章、ってことでサクッと片づけてしまいましょう。この章では「イギリス・ルネサンス演劇のメッカともいえる場所であり、シェイクスピアも所属していたグローブ座という劇場は、実は記憶術と関係していたのではないか!?」という世界ふしぎ発見的なミステリー読解が展開されます。グローブ座がどういう建物だったかについては、Wikipediaでもご覧ください。




 この建物、すでに復元されたりしているようなのですが、すごく謎めいた建物だったようです。とにかく、一切資料が残っていない。残っているのは「グローブ座の焼け跡を見たことがある」という人の証言や、また「グローブ座に似た劇場のスケッチ」ぐらい。そのわずかな資料からイエイツがこの『記憶術』を書いていた頃に、グローブ座の復元といった試みがおこなわれていたそうです。イエイツはここでひとつのアイデアを出す。グローブ座が存在していた頃には、フラッドも活躍していた。もしかしたら、フラッドが構想した「世界劇場」という記憶の劇場は、グローブ座を参照しながら考えたものではないか!? そうだとするならばフラッドの参照することによってグローブ座の復元はもっと明確になるのではないか!? と。このアイデアの具体的な検討については、実際に本を読んでみてください! 試論めいていて、まだ思考が固まっていない、ぶよぶよな状態に感じられるのですが、とても面白かったです。





第十七章 記憶術と科学的方法の成長


 最終章でございます(『記憶術』という作品の全章について言及するのに丸一ヶ月ほどかかってしまいました)。この章では時代は17世紀に入りまして、記憶術が新たなステージに突入する……! ということについて。第十五章から登場したロバート・フラッド(1574-1637)は17世紀にも生きていた人ですが、彼はルネサンスの伝統に従って記憶術を用いた人でした。が、この時代になるとフランシス・ベーコン、デカルト、ライプニッツ、といった人たちも登場してくる。そして彼らも記憶術についてはよく知っており、それを論議の対象としていたわけです。そこで記憶術は以下のように変貌する、とイエイツは言います。



百科全書的知識を記憶することで世界を反映する方法から、新たな知識を発見する目的のもとで、その百科全書と世界そのものを調査するための一手段へと変わっていく。(P.416)


 記憶術の戦いはまだまだはじまったばかりだぜ……!(イエイツ先生の次回作にご期待ください)的な最終章(最終章でこんな大きなアイデアを出すなんて……)ですが、最後まで読み飛ばすことができない締めくくりとなっております。とくにここではライプニッツの世界観とブルーノの世界観の検討にも触れられている。ここでイエイツは「記憶術の方面から思想を検討すると、これまでには理解できなかった思想家の一面が見られるであろう……!」ということを強く主張している。それはラブジョイの学際的な研究態度とも似ているように思われました*1





 以上、『記憶術』のマトメを終わります。お疲れ様でした。






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