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フランシス・ベイコン 『古人の知恵について』(抄訳)

  • 柴田和宏、坂本邦暢「フランシス・ベーコン『古人の知恵について』抄訳」『科学史・科学哲学』第23 号,2010年,83 94ページ

フランシス・ベイコンが1609年に出版した神話解釈の抄訳で読みました。翻訳は(いつもお世話になっております)現在イギリス留学中の柴田さんクニ坂本博士

ベイコンによれば、古代の偉大な知識は聖書をのぞけばすべて失われている。しかし、ギリシャやローマの神話には、いまでは失われてしまった知識が隠されているはずである。だから、失われた黄金の知識をサルヴェージするために神話解釈をする、というのが本書の目論見でした。彼が試みるのは、読解による錬金術、とも言えましょうか。しかし、古代人たちはどうして大切な知識を神話でしか残さなかったのか。ここが面白いポイントです。まず、一点目は、その知識が重要なので濫用されないようにあえてわかりにくい「夢であっても思いつかない」奇怪な寓話に落とし込んだ、とベイコンは考えます。ユピテルが妊娠した妻を食べて、頭からアテネを生んだ、とか、まあ、むちゃくちゃな話ですよね。しかし、そのむちゃくちゃさが深遠な知識の深遠さを表現し、二点目の「伝える技術」へとつながっていく(これは一点目の『隠す技術』と対立する意味を持ちます)。

ベイコン曰く「その当時、明らかに人間の知力は未熟であり、精密なことがらについては、それが感覚に入らない限り感じることができず、ほとんど受け入れることができなかった」。それゆえに、偉大な知識は論述的なスタイルで書き残されず、神話として残されたのです。これは古代人の知識は偉大だけど、彼らはバカだった、というdisにも受け取れるのですが、知力の未熟さゆえにメディアとして神話を用いざるをえなかったコミュニケーションのミメーシス性が現れているようにも読めます。また、ベイコンによる古代人の評価は、彼が生きた時代の人間が古代人たちよりも優れた知力を持っているという意味を含むでしょう。この「自分たちは発展した時代を生きているのだ」という歴史観も気になるところです。

「序論」のほかに抄訳されているのはベイコンの物質理論に関連する箇所となっています。
  • コエルム(天)、あるいは起源
  • クピド、あるいは原子
  • プロセルピナ、あるいは精気

以上が抄訳された部分のタイトルになります。ただし、ここで抜かれている部分からでは、ベイコンの物質理論の全体を把握できないでしょう。これについては昨年7月のシンポジウムでの柴田さんの発表動画か、あるいは、近いうちにリリース予定のこの発表をもとにした論文を参照していただくとしましょう。

個人的には、コエルムの神話から物質の起源を読み解こうとする部分に最も惹かれました。ベイコンの読解は「どうしてこうなった……」的な超解釈にしか読めないのですが、コエルス、サトゥルヌス、ユピテルらの性器取り合い合戦から、とにかく物質が生まれていったのだ、と彼は言います。面白いのは、ベイコンによる物質の起源の物語は、物質が創造された時点で今あるような物質世界ができあがっていたわけではないところです。彼は、創造時点の物質は不安定で混乱した状態にあり、その混乱を安定へと導くファクターとして神話上の出来事が置かれます。また、その安定化には、天界においては太陽の力、月下界においては、聖書に描かれるような嵐・地震・洪水が用いられてもいる。

「……私たちが知っているどれよりも大きな規模の地震によって顕著な運動が続いた。それらもまた鎮められ分散されたとき、事物の調和と平穏はより落ち着いて永続性のあるものになった」。ベイコンによるこのような説明は、原始の世界はなんだかモジャモジャと混乱したもので、それが一旦地震などでシェイクされて均され、安定する、といったプロセスをイメージさせます。ベイコンがどうして、かつての世界の不安定を想定したのかも気になるところ。

なお、本書の全訳は当初柴田さんの修士論文に収録される予定、とありますが、都合により実現してないとのこと。柴田先生の次回作(博論?)にご期待ください。

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