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ロバート・J・W・エヴァンズ 『魔術の帝国: ルドルフ二世とその世界』

魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界〈上〉 (ちくま学芸文庫)
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魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界〈下〉 (ちくま学芸文庫)
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神聖ローマ皇帝、ルドルフ2世がその治世において芸術や学問を滅法愛し、芸術品・珍品を集めた「驚異の部屋」を有していたことは、ルネサンス・初期近代の思想史の本を読んでいるとしばしば言及される。イギリスの歴史家、エヴァンズはこの人物を中心に、16世紀の神聖ローマ帝国のうち、とくにボヘミア地方における政治・思想文化・芸術を圧倒的な情報量で描く金字塔的な著作である。

本書を読むまで、私もルドルフ2世については前述したような情報しか持っていなかったが「芸術好きの主権者」(つまりは放蕩者)のイメージのとおりに政治的には無能であった、という風に思っていたし、かつての歴史家も概ねルドルフ2世をそのように描いてきたようである。しかし、エヴァンズによるルドルフ2世の姿は少し違っている。というか、ルドルフ2世がどのような人物であったのか、は謎なのである。公務に関わるもの以外、彼の書簡は残されておらず、限られた人物としか会わず、当時、皇帝に出会った人物たちが残した記録からうかがえる人となりもバラバラなのだ。ある者は、聡明な君主として、ある者は、狂気の人物としてルドルフ2世を捉えたが、晩年居城に引きこもり、メランコリアに取り憑かれたイメージが後に強調されて伝わることとなった。

本書の記述は、筆者自身が物語的に歴史を描いたものではない、と述べているけれども、ルドルフ2世の治世下の神聖ローマ帝国を曼荼羅のように描いたものだと思った。絵の中心には、もちろんルドルフ2世が存在し、その周囲にはマニエリスム、錬金術、ハプスブルク家の歴史、オカルト学といったものの詳細が並んでいる。ただ、その中心は、前述のように謎であり、ひどくぼやけている(エヴァンズは精神分析まで導入して、ルドルフ2世の性格を描こうとしているが、これはちょっとトンデモな感じがする)。ただ、中心が謎であるからこそ、周囲の密度が召還されたようにも思われるのだった。

2006年にちくま学芸文庫に収録されているものの新品での入手がほぼ不可能となっているのは残念(ちょっと前はもっと中古価格が高騰していた気がするが、Amazonマーケットプレイスでも、定価よりも少し高いぐらいの値段になっているのは良い傾向……なのか)。

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