スキップしてメイン コンテンツに移動

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン 『哲学探究』

哲学探究
哲学探究
posted with amazlet at 13.11.03
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
岩波書店
売り上げランキング: 81,111
日常的に読書をする習慣をつけるようになっておそらく10年といったところであるが、割によく読むジャンルでありながら、いまだにちっともわからないのが哲学の本である。哲学の本ってどんな本って言われてもすぐに答えられないし、読んでいるあいだは面白いな、と思いつつも、読み終わるとすぐに忘れてしまったりして、読めば読むほど哲学者にはなれそうにない(なりたいとも思わないけれども)と感じたりする。とはいえ「読んでみたいな」「読まなくちゃいけないんじゃないか」と思う本はいくつかあり、ヴィトゲンシュタインなんかはその代表格のひとりだった。まず、ヴィトゲンシュタインという名前がカッコ良いではないですか。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」とかね。萌えますよ。

というミーハー根性でかつて『論理哲学論考』を読んだ記憶があるが、これはまったくもってよくわからず、今となってはなにが書かれていたか思い出せないし、読み終えたかすらも怪しい。これでヴィトゲンシュタインはわかんない、と諦めていればむしろ救われていたのだろう。『哲学探究』の新訳が出た、と知って、よし、チャレンジしてみるか、と思ったのだから、救われないのである……が、これは大変面白く読んだ。ああ、これは哲学っぽい本であるな、なんか久しぶりに哲学の本を読んでいるぞ、と思いながら。

「はじめに」でヴィトゲンシュタインはこんな風に書いている。「私の書いたものによって、ほかの人が考えなくてすむようになることは望まない。できることなら、読んだ人が刺激され、自分の頭で考えるようになってほしい」。これはすごく的確な表現で、この本を読んでも「わかったぞ!! 世界のことが!!!」とユリイカ感を与えられることはないであろう。言葉がどんな風に通じているのか、とか、言葉をどんな風に使っているのか、とかを平易な言葉で記述され、さながら思考実験の学習ドリルのようだが、一向に「This is 真理!」みたいな感覚に陥らないのである。

けれども、そこが面白い。それまで当たり前だった世界が、言葉によって解体されていき、どんどん不思議に見えていく楽しさは、スリリング、と言っても良いのではないか(読んでいて統合失調症の世界ってこんな感じでは、とも思ったし、そういう意味では危険な本なのかも)。旧訳を見比べたわけではないけれど、新訳の日本語は、淡々としているのに、そういうスリルがスッと入ってくる良い日本語になっているのも良いのかも。この『哲学探究』はヴィトゲンシュタインの遺稿をまとめた本で、いろんなヴァージョンがあり、まだ「決定版」がないのだそう。そういう研究事情を知ると「めんどくせー本だな」と思わずにはいられないが、ひとまず、日本語版なら、コレになるのかな。野家啓一による解説もあわせて読んだら、高校生でも充分にこの本の面白さを味わえそうである。

なお、どうでも良いことだが、本書に出てくるある言葉から、このブログのタイトルは取られている(ただし新訳では、別な言葉になっていた……)。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...