「旨いものは現地で食え!」という魯山人の現場主義も流通や冷蔵技術が未発達だった頃のお話であって、今だと東京で食べるのも現地で食べるのも実質変わらないのに、現場主義が「やっぱり現地で食べるのが趣きがあって良いですな」ぐらいのツーリズムに失墜している、と言えるかも。食に対するリテラシーでいったら、当時の魯山人よりも、現代においてそこそこお金を使っていたら魯山人よりも美味しいものを食べている可能性があり、美味しいものが食べられる時代に生まれて良かったなあ……という意見は、本書を先に読んでいた妻と一致した。
この当時からサシが入った牛肉っていうのは、美味しいものとされてきたんだなあ、だとか「過去の味覚」を探るのは面白くはある。魯山人の味覚を分類するに「繊細な味がする上手物」と「脂肪分が多い下手物」という二つの基本軸がある。これは実に単純なものだと思う。本書のなかで魯山人はフランス料理を強烈にdisっているんだけれども、それはこの味覚センスによるものなのでは、とも思われた。大岡昇平とともにトゥール・ダルジャンに行き、鴨を注文したが焼き方が気にいらず、山葵醤油で食べた、という有名なエピソードも本書に収録されているのだが、これを読んでいたら「野菜でも肉でもサッとあぶって岩塩でもかけてだしてたら喜んで食べたんでは」と思わされる。昭和29年(1954年)に日本のジジイがアメリカ、ヨーロッパをまわってまともに扱ってもらえるかもわからないけれど、自分の舌にあわないものを全否定する狭量さは今では滑稽に思えるかも。
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