スキップしてメイン コンテンツに移動

ヒロ・ヒライ 小澤実(編) 『知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』

本書とわたしの関わりについては既に書いた通り。収録されている論文は編集時点ですでに目を通していたが、改めて読んでみても、やはり価値ある本だな、と思う。インターネット上で局地的に盛り上がり、一時、Amazonの売り上げランキングでも「歴史」部門の第1位に輝いた、というが、この盛り上がりが一過性のものでなく継続していって欲しいもの。
教科書的な本でもないし、初心者向けの本でもない。「中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー」という(雑に言うと)マニアックな分野の論文集でありながら、わたしが「この本を広く読まれたら良いのにな」と思うのは、自分が制作に関わっていたから、という贔屓目ばかりではなく、独立した論文が有機的に関係し、星座を作るかのような知的な世界を提示しているからである。なかでも加藤喜之さんの「スキャンダラスな神の概念」、坂本邦暢さんの「アリストテレスを救え」、ヒロ・ヒライさんの「霊魂はどこからくるのか?」という3つの論文が続く部分は、本書のハイライトだと思う。

順番に読めば「スキャンダラスな神の概念」に読者は出会うことになるが、ここで論じられるスピノザの哲学が、どのようにスキャンダラスだったのか、当時の知的な背景知識がなければ味わい損ねてしまう。しかし、もし読者がそれを味わい損ねたとしても、一度と次の「アリストテレスを救え」に進んでもらえば、スピノザが活動した当時にも支配的であったアリストテレス主義がどのようなものかがわかる。そこで「スキャンダラスの神の概念」に戻れば良いのだ。

坂本さんによるこのアリストテレス主義の整理は続く、ヒライさんの生命の発生と霊魂の関係性に関する議論にも接続される。3つの論文は、順番を変えたりしながら読むと、毎回新しい学びがあるはずだ。ほかにも戦国時代の日本にやってきたイエズス会宣教師たちが、西洋のコスモロジーや霊魂論を日本に輸入した事実を明らかにする「キリシタンの世紀」のセクションにも、アリストテレスの議論は関係する。こうして、さまざまな領域に飛び火するインテレクチュアル・ヒストリーは(観念論や認識論に偏っていく前の)哲学の領域の広さをまじまじと見せてつけてくれる。

出版から4カ月あまりが経って、今週の土曜日には記念イベントも開催予定だそう。まだ本書に触れていない方でも参加して、新しい知の扉が開いてみてはいかがだろうか!

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...