スキップしてメイン コンテンツに移動

鳥の歌




メシアン:鳥のカタログ
ウゴルスキ(アナトール) メシアン
ユニバーサルクラシック (1994/04/25)
売り上げランキング: 96,193



 パブロ・カザルスの作品に《鳥の歌》という曲があるけれども、別に鳥の鳴き声が入っているわけではない。鳥の鳴き声が入っている曲で割と有名な曲は、レスピーギの《ローマの松》とメシアンの《鳥のカタログ》だろうか。前者では曲の中で録音された鳥の鳴き声が、現実音の挿入のような形で再生され、後者では作曲家が採譜した鳥の鳴き声が、ピアノで再現される。↑のCDは、アナトール・ウゴルスキが演奏している《鳥のカタログ》。日本盤は曲中扱われる鳥のイラストや説明入りの豪華ブックレット付きなので、多少値段が貼るけれども、日本盤をオススメする。現在、フランスプレスの廉価盤が3500円で手に入るけれども、鳥類研究家、バードウォッチャーでもない限り「何の鳥」か判別することは難しいだろう。大体、ヨーロッパに生息している鳥ばっかりだし。耳なじみの無い鳴き声ばっかりだ。





 レスピーギもメシアンも近現代に活躍した作曲家だが、15~16世紀のフランスにも鳥関係で有名な人がいるらしいことを本を読んでいて知った。クレマン・ジャヌカン。バッハよりも200年ぐらい古い人なので気合の入った古楽ファンでも無い限り知らないであろう人。主に世俗シャンソンを作っていたらしいが、作品の中にオノマトペで鳥の鳴き声を取り入れていたらしい。気になる。他にも現実音を模倣したものを色々作品にしているみたいだけれど、江戸屋猫八みたいな人だったんだろうか。ホーホケキョ、なんつって(そういえば、メシアンの作品《七つの俳諧》の中にはウグイスがいる。これはメシアンが来日時、軽井沢で採譜したもの)。





 鳥の鳴き声はかなり複雑な倍音構成になっているらしく、とてもピアノで再現されうるようなものではない。《鳥のカタログ》で聴かれる鳥の鳴き声は「模倣」としてはできそこないなのだ。が、逆に言えば非常にすっきりとして倍音に構成されなおされているわけだ。それが作品の異教的な響きを生み出している感じがする。っつーか、スペーシー。メシアンは厳格なカトリック教徒だったはずだが、ギリシャやインドの音楽的要素を取り入れたりと異端っぽい。宗教裁判にかけられてもおかしくないぞ。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」