今では決して許されることがない演奏

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 明日ゼミで卒論の発表があることをすっかり忘れていた。いそいそとレジュメを作成しながらフルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団による《合唱付》を聴きながら作業。普段私はこの演奏をほとんど聴かない(クレンペラーの演奏があるから)。久しぶりにこの演奏に触れたのは、4年になってからゼミで普通に話すことが退屈になってきて、飛び道具として所々に音楽資料を挟んで発表をするというスタイルを私は採用しているんだけど(菊地成孔スタイル*1)、次回はフルトヴェングラーの第九をガン鳴らすことを思いついたからだ。聴き直してみたら、やっぱりとんでもない演奏で「頻繁に聴き返す演奏ではないなぁ」と思ってしまった。第3楽章の過剰なポルタメントや、第4楽章最後の猛烈なアッチェルランドなどとてもまともなテンションで演奏されているとは思えない。多幸感からバッドトリップへと転落するような異常さがある。


 Youtubeでフルトヴェングラーの映像を探したら、出てきたのがナチスの鉤十字が舞台の横にドーンと掲揚されているものすごい映像が出てきた。ヒンデミットを擁護したせいで、ベルリン・フィルを追われるはめになったフルトヴェングラーだけれど、こういったものが残っているとなると時に「戦犯扱い」されるのも致し方ないような気がする。観客にカメラが回ったときに映されるナチの高官っぽい人たちがおっかない。フルトヴェングラーのバイロイト・ライヴのあの異常なテンションは、こういう戦中の抑圧的な雰囲気からの解放感もあるような気がする。これと全く逆なのは1973年に来日したムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの演奏で「ソ連の代表として日本に殴りこんできました!」みたいな緊張感が漲っていて恐ろしい。どちらも今では「あー、もう二度と聴かれることはないだろうなぁ……」という演奏には違いない。




*1:今までに「シューベルトの二面性」や「ジャズが《分からなく》なるまで」といった発表を行っている





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