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躁になりたい




シェーンベルク:モノドラマ「期待」
ラトル(サイモン) バーミンガム・コンテンポラリー・ミュージック・グループ シェーンベルク ブリン=ジュルソン(フィリス) バーミンガム市交響楽団
東芝EMI (2006/10/25)
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 今日も卒業論文執筆です。そろそろ1日に4000字ぐらいの波に乗らなくてはいけないのですが、論文内で想定していたいくつかの山にぶち当たってしまいました。なんとかそれを乗り越えたら「ああ、続きは明日で良いか……」という気分に。こういうときは音楽で奮い立たせるか、ビールでもあおって勢いをつけるしかありません。昨年もゼミで2万字程度の論文を書いたのですが、それを成分分析にかけたら発泡酒20リットルが検出されると思われます。よく書けたなぁ、自分。


 本日聴いていたのは、現在ベルリン・フィルの芸術監督、サイモン・ラトルがバーミンガム市響時代に録音したアルノルト・シェーンベルクの《室内交響曲第1番》。この作品は、シェーンベルクが無調/12音音楽期に突入する以前、後期ロマン派の影響を色濃く受けた時代(ピカソで言うなら『青の時代』に値するといえるかもしれません)の秀作です。調性は明瞭ではなくかなりメチャクチャな感じですが、ラトルの演奏ではグスタフ・マーラーのスケルツォでレントラーから急にマーチへと移り変わる瞬間の混沌を25分に拡大したように聞こえます。シェーンベルクとマーラーを極限まで接近させた「歴史の改編」とでも言いましょうか。もともとシェーンベルクはマーラーの孫弟子にもあたり、近いといえば近いのですが、ここではその間にいるアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーという存在がキレイに消されてしまいます。このような躁状態がやってくれば良いのですが……。


 シェーンベルクといえば未完の歌劇《モーゼとアロン》が映画化されたものなんてあるのですね。[str.fileNotFound]で上映されているそう。観て来た友人に話を効いた時は「へぇー、そんなんあるんだ?(全然興味ないわー)」とか言っていたのですが、オーケストラの演奏がミヒャエル・ギーレンだと知って俄然気になってきました(上映終わってるけど)。この人の演奏には大概はずれがない。





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