カルロス・フエンテス Carlos Fuentes 安藤 哲行
集英社
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メキシコ革命下、暴力が蠢く砂漠と太陽の土地に「みてくれの良い死体となるために」一人の老いたグリンゴ(異邦人)がやってくる。そのグリンゴは『悪魔の辞典』の著者であり、ジャーナリストとして活躍したアンブローズ・ビアスだった……という「メキシコの大文豪」、カルロス・フエンテスの小説を読んだ。ここ最近で飛び上がるほど面白い!と感じた小説。神保町に半年前ぐらいにできた古書店で偶然手に取り、安かったから(700円)買ったんだけど、素晴らしい出会いだった。これだから猟書は辞められない。
メキシコに入ったアンブローズ・ビアスは自分の正体を隠し(そもそもメキシコ人にとってビアスの名前など何の意味ももたないのだが)名も無きグリンゴとして革命軍に身を投じる。そこで彼は一人のアメリカ人女性と出会う。ワシントンからやってきたハリエット・ウィンズロー。アメリカで彼女は父親に捨てられ老いていく母親に付き添いながら死ぬように生き、そして生を求めてメキシコにやってきた。そして、もう一人、トマス・アローヨという男がいる。革命軍のリーダー、パンチョ・ビージャの部下である彼は自分の生を完成される「女」を求めながら、革命的大義と暴力を遂行している。そこには三者三様の生があるけれども、誰もが自らの生を「まっとうしたい」と考えている。充足した、完璧な、渇きが癒された生。その生をめぐる「実存的な闘い」が、三者の愛憎をもって描かれるところがとても素晴らしかった。そこにはもちろん暴力があり、性がある(この小説の性描写のなかに、中上健次と通ずるものを感じたのは言うまでも無い)。
メキシコには行ったことがないから想像に過ぎないのだが、この小説のなかにある描写には「(抽象的な)ラテン・アメリカの二面性」のようなものも感じる。それは「昼のラテン・アメリカ」と「夜のラテン・アメリカ」の姿と言っても良い。前者は、乾燥した、快活な、眩いような情景。そして「怒り狂ったような太陽」。後者は、湿っていて、淫靡で、暗い情景。そして「砂漠の上に浮かぶ月」。この相反するものが、小説上の数々の描写に抽出されているところがすごく想像力を刺激されられる。この小説、絶版らしいんだけど今すぐ再版されるべき。ヘミングウェイ・レベルの傑作っす。
ちなみにこの小説は後にグレゴリー・ペック主演で映画化されていて、そのときの再版の際にタイトルが『私が愛したグリンゴ』に変更されている。原題は「El Gringo Viejo」、直訳するなら「年老いた異邦人」。原題に近い方が良い気がするな。マーケットプレイスで安く買えるうちに速攻カートに突っ込んで買っとくと良いと思います!
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