失われた時を求めて〈7〉第四篇 ソドムとゴモラ〈1〉posted with amazlet on 06.11.06マルセル・プルースト Marcel Proust 鈴木道彦
集英社
アドルノはそのマーラー論のなかでマーラーとプルーストの近似性について指摘していたが、たしかにプルーストを読んでいるとマーラーの音楽に近いものを書いているなぁ、と思う瞬間がある。それは両者がただ単に「長いものを書いていた」というだけの単純な話ではない。むしろそういった量的なものではなく、プルーストの語り口、マーラーの語り口という態度的なものが似ている。プルーストの言いよどみ、脱線、記憶の急な挿入といった手法は、マーラーの主題の繰り返し、迷宮的な展開、通俗音楽(レントラーあるいはマーチ)の挿入に近い……というようなことを読み終えて少し考えた。
6巻で語り手にブチギレしていたシャルリュス氏が実はホモ・セクシャルで、語り手に対する奇妙で理不尽な態度も実は愛憎が入り組んだ複雑なものだったのか……と非常にすごい展開になる第7巻。社交界の様子などは、いつも割とどうでもよい感じで読み飛ばしてしまうのだけれど、世相などが反映された内容は刺激的。小説内のフランスは、ちょうどドレフュス事件で大揺れで、ユダヤ人でドレフュス派のスワン氏に関しての悪意のこもった言葉がやりとりされるのはなんとも言えない。「社交界の仲間に入れてやってたのにあいつもドレフュス派かよ。ケッ、あいつも結局ユダ公なんだな!」と陰口を叩く。すごく社会派な感じがする描写。
途中で死んだ祖母のことを急に思い出すのだけれど、そこは結構グッと来てしまう。過去の記憶はいつも美しい。しかし、そこには二度と戻ることができないのだ。
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