スキップしてメイン コンテンツに移動

J.G.バラード『太陽の帝国』




太陽の帝国
太陽の帝国
posted with amazlet at 08.11.16
J.G.バラード
国書刊行会
売り上げランキング: 357544



 J.G.バラードの作品を初めて読む。『太陽の帝国』は、この上海生まれのイギリス人作家が、太平洋戦争下の上海で体験した出来事を基にした半自伝的小説のこと。「SF作家」として語られることの多いこの作家への導入が、この作品で妥当であったのかどうかは分からないがとても面白かった。日本の侵攻によってそれまでの上流社会的な生活を奪われ、混沌へと投げ込まれたひとりの少年の視点から描かれた「世界の崩壊」は耽美なまでに美しく、また、少年が抱くアメリカや日本への憧憬の無垢さに心を打たれるものがある。1987年にスティーヴン・スピルバーグによって映画化されているそうで、機会あればそちらもチェックしたい、と思った。主人公の少年を演じているのは子役時代のクリスチャン・ベールだとか。作品中には「自分が中途半端に覚えた手旗信号を、日本の兵士に送ってしまったら戦争が始まってしまった!どうしよう!!」と少年が罪悪感に苛まれるシーンなどがあり、こういった世界と私が短絡的に結びついている幼年期特有の思考描写もとても良かった。


 しかし、かなり救われない話である。この荒廃した世界の描写は、スティーヴ・エリクソンにも影響を与えていると思うのだが、エリクソンは一貫して愛を描いているのであり、それたとえ狂った誇大妄想のようなものであっても、最後には一応の決着がつく。しかし、『太陽の帝国』においては、そのような終止があるわけではなく、すべてが変ってしまった(元には戻れない)、という寂寥感のみがある。主人公の少年は、理解をしてくれる相手を失ったまま生きなくてはならないのだ――日本の外国人捕虜収容所においても、彼は理解者を見つけることができない。日本の軍人や同じ収容所に捕まっているアメリカ人はもちろんのこと、国籍を同じにするイギリス人からも上海生まれ(本国を知らない)という理由で、彼は徹底した他者として扱われる。日本に2つの原爆が落ち(長崎に落とされた原爆の光を少年が見るシーンがあるのだが、そこがものすごく美しくて良い……)戦争が終わり、混乱の中で離れ離れになった家族と少年が再開しても、戦争の間に起こったさまざまな出来事によって、再開した父と母は別人のようになっている。元いた(幸福な)世界に戻ることは不可能で、少年の周囲にある世界は戦争が終わったあとも崩壊したまま、荒野のまま、持続されてしまう。このしんどさはもうなんか……。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...