橋爪大三郎による構造主義、というかレヴィ=ストロース入門の本を読む。構造主義の人について、フーコーやデリダについてはピンポイントでなんとなく知っているつもりでいたのだが、じゃあ構造主義ってなんなんすか?的なマッピングが上手くできていなかったので、この本を読みながら少しその整理ができた気がする。構造主義が生まれてきた歴史的背景みたいなものも知れて面白かった。驚いたのは、これが20年も前に書かれた本である、ということで「20年前から思想界隈の話ってあんまり変化がないのか?」と思ったりもした。トレンドの人がちょいちょい変るだけで、天地がひっくり返るようなことを言う人ってなかなかいないものなのだな、よく知らんけど、とアホの人のように考えてしまう。現代思想にあまり興味がなくなってきている……ということなのかもしれない。なんか自分の生活とリンクするものが希薄に感じてしまう。逆に構造主義によって乗り越えられた、とされているマルクス。これは大変自分の生活とリンクして考えられる。自分をとりまく問題として捉えられる。これはマルクスの影響を受けたフランクフルト学派の人たち(と言っても、アドルノぐらいしか読んでいないけれども)の本を読んでいるときも同じような感覚がある。今だからこそ、ハーバーマス読んでみようかなぁ、とか思うし。
テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...
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