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プラトン『プロタゴラス――ソフィストたち』




プロタゴラス―ソフィストたち (岩波文庫)
プラトン
岩波書店
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 プラトン強化週間の一環として読む。タイトルにあるプロタゴラスは「人間は万物の尺度である」という言葉を残したことで有名なあのプロタゴラス。この人は、当時のギリシャで当代随一のソフィストとして有名だったそうで、なんでもその巧みな弁論術を弟子に教える代わりに、ものすごくお金をもらっていたらしい。





 『プロタゴラス』では「ヤァ!ヤァ!ヤァ!プロタゴラスが(僕らのポリスに)やってきた!」という感じで、ソクラテスの教え子的なヒッポクラテスという若者が目を爛々と輝かせながら「おいらもプロタゴラスの弟子になろうと思うんだけど、ソクラテスも一緒にこない?」みたいなことを言って、ソクラテスを連れ出すのであるが、プロタゴラスが滞在している家にいくまでの道すがら「そもそも、ソフィストって何者なのよ」という風にソクラテスが問いかけはじめ、せっかく期待に胸を膨らませているヒッポクラテスをげんなりさせる――というところが面白い。





 ここから既にソフィスト批判は始まっているのであり、批判はソフィストの取り巻き連中にも及ぶのである。「彫刻家は彫刻の専門家、詩人は詩の専門家。だけど、ソフィストって一体何が専門なわけ?」とソクラテスは言う。ヒッポクラテスは答えて曰く「そりゃあもう、人に知識を授けることの専門家でしょうよ」。ここでソクラテスはヒッポクラテスをたしなめる。「君さぁ、やたらとプロタゴラス、プロタゴラスって言ってるけど、彼が本当に良い教師かなんか知らないでしょ? 大体さ、君は知識を授けてもらいにいくぐらいなんだから、プロタゴラスが良い教師かどうかなんか判断する知識もないわけじゃん? 気をつけたほうがいいよ、ホンツに……」――みたいな感じで。





 そんなわけでソクラテスははじめからプロタゴラスに対して懐疑的であり、そういうわけだからいざプロタゴラスに会ったとしても、ガチな議論バトルが始まることは必然なのである。ここで議題となるのは「徳というものは、果たして人に教えられるものなのでしょうか?」ということ。当然、プロタゴラスはそういうことを教えるのを職業としているので「何いってるの? 教えられるに決まってるじゃん!」と言うのだが、ソクラテスは「いやいや、ワスは教えられないと思うんですよ……。いや、もしかしたらワスがバカだからそう思ってるかもしれないケド……」とか言いつつ、プロタゴラスに対して、速射砲のように次々と問いを投げかけていく。





 ソクラテスの問答法とは、プラトンによって書かれたどの本を読んでも基本的には同じである。まず「ワスは恥ずかしいぐらいに無知なもんで、ひとつずつ確認しながら教えていただきたいんだケド……」という感じで始まって、問いを投げ続け、それに相手が答えていくと、相手は始めに言った答えと矛盾した答えにいつのまにかたどり着いてしまう、というものである。その矛盾に対してソクラテスは「あれ? さっきと違うこと言ってるよねぇ……?」という感じで大変嫌な指摘を行う。ちなみに『プロタゴラス』では、ある種の「何を言ってるかわからねーと思うが……」スタイルの術にハマったプロタゴラスが、ソクラテスに対してものすごくイライラしているところが面白かった。




 で、いろいろあって、最終的な決着がつかずにソクラテスとプロタゴラスの対話は終わるのだが、両者の立場の違いは明らかにされる。両者はともに、徳というものをある種の知識である、というところについては共有している。しかし、プロタゴラスがその知識を、何らかの技術と同様に、教えられたり本を読んだりすれば身に着けることができる、という立場をとるのに対して、ソクラテスは「確かに徳も知識の一種には違いないが、徳はもっと複雑で、プロタゴラスが言うように教えられればすぐに身につくようなものではない(第一そのようであったならば、もっと世の中は良くなってるだろう。ここで「徳=技術のように教えられる知識」ということは事実に則していないことが明らかにされるとするならば、そのような認識は間違っているのではないか)」というところで、プロタゴラスとは一線を画す。ただし、ここでソクラテスが「じゃあ、徳とは、どのような知識なのか、どのようにして身につけられるのか」という点についてはここでは明らかにされない*1





 全然本の内容とは関係ないのだが、このような議論が古代ギリシャでは実際におこなわれていたとするなら「こいつら、よっぽど余裕のある生活を送っていたんだろうなぁ……」と思ってしまう。まるで週に五日間「も」働いている自分の生活が、人間として間違っているのではないか……? と思われるぐらいに。




*1:このあたりは『国家』などで触れられていたか?





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