スキップしてメイン コンテンツに移動

三村太郎 『天文学の誕生 イスラーム文化の役割 』




天文学の誕生――イスラーム文化の役割 (岩波科学ライブラリー)
三村 太郎
岩波書店
売り上げランキング: 153037



天文学といえば、いまではロマン溢れる理系の学問であり、一般ピープルからしたら「それって何の役に立つの?」と思ってしまう学問の代表と言えるかもしれません。しかし、世界史的な観点からすれば、天文学が大変重要な学問であった期間のほうが長い、ということが言えましょう。それは占星術との結びつきが強かったころのお話、星を読むことができた天文学者たちは占星術についての理解もあわせもち、政の助言者としても活躍していたのでした。また「コペルニクス的転回」という言葉に示されるとおり、近代科学のはじまりにも天文学は強く関わりを持っています。本書『天文学の誕生』が取り扱うのは、こうして社会と密接につながる時代の天文学の発展史です。





しかし、この学問は西洋においてずっと断絶がなく続けられたものではない、と著者は言います。ギリシャとバビロニアの天文学を融合し、天動説を体系化したプトレマイオスの『アルマゲスト』という仕事は、一旦七世紀ごろに西洋では忘れられてしまい、コペルニクスが登場するまでおよそ900年間、西洋の天文学史は冬眠状態にある。このあいだ、プトレマイオスらの仕事はイスラーム社会に引き継がれ、発展を続けたのだそうです。著者は、このイスラーム社会における天文学が西洋に逆輸入されたとき、西洋の天文学は再始動した、と主張します。まるでアメリカで生まれたロックンロールが、ビートルズを生み、アメリカに侵略してきた、みたいなストーリーが本書では提示されており、大変刺激的でした。





イスラーム社会での天文学の発展も詳細に描かれます。目次レベルでここでの議論を紹介しておきましょう。まずは八世紀にペルシャ人国家アッバース朝での翻訳文化がギリシャ語文献のアラビア語訳を生む(そのなかには『アルマゲスト』が含まれていました)、『アルマゲスト』は占星術師らに取り上げられ、そこに古代から名高かったインドの計算方法が導入されると、天文学に必要な大きな数をあつかう計算がより正確になる。またそうした学究心の基盤には、異教徒たちと関わりをもつことが多かったアッバース朝ならではのメンタリティがあったーー彼らは異教徒たちを説き伏せるために厳密な論証を要していたのですね。厳密な学問への姿勢はそうした要求から生まれていった、と著者は説きます。またそうした学問へと従事していた者たちは権力者の助言者としても活躍し保護されたことから一層学問は発展していった……! ここまでの恐ろしくエレガントで、ダイナミックな議論のながれも素晴らしいと思いました。薄い本ではありますが、歴史学の本を読む愉しみに満ち溢れた本です。オススメ。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...