スキップしてメイン コンテンツに移動

特発性過眠症と診断されるまでの話(2)

特発性過眠症と診断されるまでの話(1)

突然病気の話なんか書きはじめたので、友人・知人から心配の声をもらったりしたのだが、私は元気です。ただ、珍しい病気ではあるのかもしれないので(まず、病気として診断されている人が少ないのだと思う)こうして記録を残しておけば、同じような症状で悩んでいる方がいたらその人の役に立つかなあ、と書いてみただけ。

大学病院で脳波を取った(ナルコレプシーの検査)

睡眠時無呼吸症候群の簡易検査で「無呼吸症候群ではない」という判定をされたため、紹介状を書いてもらって大学病院へ。紹介状を書いてもらう、というのからして初めてだったのだが、初回の診察はどうしたっけな……。自分で予約を取ったのだったか、紹介状を書いてもらった病院でなんか手続きをとってもらったのだったか(おそらく後者だったと思う)。

紹介されたのはかなり大きな大学病院の神経精神科。毎回予約時間通りに行っても混雑していて結構な時間待たされた(症状についてお医者さんに伝える & 検査の予約、検査、検査結果を聞く、で都合三度通った)。診察室の前の廊下にある長椅子に座っている人にはいろんな人がいて「先生を早く呼んで欲しいんです!」と泣き叫ぶ中年女性があったり、その場所の薄暗さも相まって、自分がとても深刻な場所に来てしまったのではないか、とも感じた。

検査は頭に電極をつけて、暗い部屋で横になり、脳波のデータを取りながら入眠までの時間を計測する、的なものだった。大体一時間ぐらいで、午前中の検査だったら午後からは会社にいけた。初めて頭に電極をつけたんだけれど、粘土みたいなモノの頭皮にペタペタとくっつけられ、検査後は検査技師さんがキレイにとってくれるんだけれども、取りきれないものがどうしても残るのでちょっと気持ち悪かった(夜にお風呂でシャンプーすればとれる)。検査は途中で高速で点滅を続けるライトを当てられたりして、そんななかでも眠れるのか、みたいなところを調べられたみたいだ。検査前には「眠るまでの時間を計るためのものですので、若干寝不足ぐらいで来てもらえると」と言われて、睡眠時間三時間ぐらいで挑む。が、検査用のベッドでは緊張してしまって眠れた感じが全然しない(部屋は真っ暗だし、目も瞑っているので時間感覚もよくわからない)。

『AKIRA』にでてくる実験体気分になり「これだけやればなんか分かるんだろ、きっと」という期待があったけれども、検査結果は「よくわからない」というお話で拍子抜け。「ナルコレプシーの人特有の脳波の出方がなく、ここでは診断できません」と言われたときには「え、大学病院ってこんなに立派なのに、診断できないこととかあるんだ!?」と驚いた。結果の次には「睡眠の専門クリニックが東京にあります。そこに紹介状書きますので、これ以上気になるようでしたら、そこで専門の検査を受けてみてください。これ以上の検査はウチじゃあできません」と言われ、「え〜、また別な病院かよ〜。もう診察券財布に入らないよ〜」と思いながら、次のステージに進むことになるのだった。

ちなみに大学病院での検査は、初診 → 検査 → 検査結果を聞く、という全過程で三週間ほど。費用は合計で一万円ぐらいだったかな。

(続く……)

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...