スキップしてメイン コンテンツに移動

平賀さち枝とHomecomings / 白い光の朝に

白い光の朝に
白い光の朝に
posted with amazlet at 14.09.22
平賀さち枝とホームカミングス 平賀さち枝 Homecomings
SPACE SHOWER MUSIC (2014-09-10)
売り上げランキング: 11,665
今年の夏に一番聴いた音楽は、NegiccoかHomecomingsのどちらかに違いない。どちらもわたしの心のソフトな部分にグッサリと刺さる大変エモーショナルな音楽だったのだが、その温度が冷めきらないうちにこうして新譜が聴けるのはありがたいことである。しかも、平賀さち枝とのコラボレーション、というではないか。リリースを楽しみにしていた一枚である。ともあれ、この平賀さち枝さんという女性歌手、これまでYoutubeでその歌声を聴いたり、インタヴューを興味深く読んだり、姿形を認識していたりした人ではあったのだが、実際に音源を買って聴くのはこれが初めてだった。

(平賀さち枝 / 江ノ島)
2012年に発売された彼女のアルバム『23歳』に収録されている「江ノ島」のPVがある。素朴な感じのお嬢さん(平賀さんご本人映像)がリュックサックを背負い、電車のなかでお菓子を食べたりする愛くるしい感じの映像である。彼女を敬して遠ざけるきっかけとはまさにこの映像だ。なんか、ちょっとあざとい、というか、ちょっとじゃねーよ、犯罪的なあざとさだ、と思ってしまったのだ。これは平賀さち枝さんご本人のせいではなく「こういう幼児的な、無垢な感じで売りましょう。新世代のフォークの歌姫的な感じでひとつよろしく」的なものがあったに違いない、と推測するのだが、それは違うんじゃないか、こんな、白痴めいた23歳がいるわけねーだろ、と思ったゆえに、長らく「気になるけど、ちゃんと聴かない歌手」として意識に留まり続けることになる。

いや、そんなことはどうだって良いんだ。この新譜が最高なのだから。4曲入り、1曲は平賀さち枝とHomecomingsによる共作のタイトル曲、2曲はそれぞれ平賀さち枝とHomecomingsによる単独名義での曲、残りはタイトル曲のやけのはらによるリミックス(このリミックスについては、なくても良かった、と思う)。一聴して、平賀さち枝の歌声に、参ってしまうのである。60年代ブリティッシュ・フォークの歌姫たちを想起させる可憐な歌声を支えているのは、Homecomingsのキラキラに輝くギターであり、コーラスであり、毎朝正確に3度聴き、泣きながら出勤している。

Homecomingsは単独作品では今回も英語詞で歌っているが、共作曲を聴き、やはり日本語で歌ってほしいな、と思った。英語詞の発音・内容・文法の拙さは可愛げとして理解できるのだが、ちょっと今回の曲は、英語の音節に関する無理解があまりに目立ってしまうのではないか。曲は良いんだけれど。

(しかし、このジャケット、人が吊るされているみたいに見えて、見るたびに不安になるな……)

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...