スキップしてメイン コンテンツに移動

ダンテ・アリギエリ 『神曲』

神曲 地獄篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
売り上げランキング: 222,775

神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
売り上げランキング: 246,417

神曲 天国篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
売り上げランキング: 245,851
原基晶さんによる新訳のダンテ『神曲』を一気読み。感動的なお仕事であり、訳者による解説を読みながら、ひたすらこのお仕事に対するリスペクトを禁じえない。たとえば一番最初の『地獄篇』の「『地獄篇』を読む前に」で語られる「翻訳中のカタカナ表記について」の記述。「こだわり」という簡単な言葉で処理できない、訳者のパッションをギンギンに感じて本文に入る前からわたしは感動してしまっていた。旧訳に対してリスペクトを払いながら、なぜこの新訳が必要であったのかを説き、また、正しい読みはどのようなものであったのかを提示していく訳者の丁寧な仕事にはいちいち頭がさがる。極め付きは、最後の謝辞だ。この訳業自体がある意味、プロジェクトX的なものとして伝わってくる。

『神曲』を読んだのはこれが初めてではなかった。集英社から出ている寿岳文章訳は7年ぐらい前に読んでいて(地獄篇煉獄篇天国篇のそれぞれの感想記事)今回は再訪ということになるわけだけれども、7年のあいだにかなり読者としての立場が変わっているせいか、ずいぶん「読める」という感覚が大きくなった。以前に読んだときはあまり楽しめなかった煉獄篇や天国篇も、ダンテが生きていた時代に支配的だったアリストテレス主義的な自然学を読みかじっていたおかげで読める感じがするし、最後の最後にダンテを神の前に案内してくれるベルナールの名前も井筒俊彦の本でこないだ読んだばかりだ。

こうして少し読めるようになってみると、『神曲』の哲学的/神学的な内容への驚きは増した。ここには14世紀初頭の知識人が理想とするコスモロジー、また、神学論争・宗教的な道徳論争が反映されている。そして、単なる叙事詩ではなく、哲学書としての性格がすごくわかってくる。もちろん、その思想的な背景とテクストとの結びつきを、テクストそのものから類推できるほどの知識は持っていない。結びつきを助けてくれるのは、訳者による注だ(この注によるアシストなしでは、読める自信まったくなし。そもそもダンテの時代にも、注とともにテクストを読むのは一般的な読みの行為であったという。これも本書で知った)。

これだけ丁寧なアシストがあれば、このテクストは、このテクストが書かれた当時の知的世界への入り口、あるいはその先の世界に踏み入っていくための地図として利用することもできると思う。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」