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穴だらけの日常




愛について語るときに我々の語ること
レイモンド カーヴァー Raymond Carver 村上 春樹
中央公論新社 (2006/07)


 最近、読みたかった本が文庫になりまくっているのでつい買ってしまうのだけれど、読むスピードと出るスピードのギアが全く噛み合っていない感じで、大変です。フーコー・コレクションはもう既に第4巻まで行っているっつーのに*1、私はまだ第3巻すら手にしていない…。レイモンド・カーヴァーの全集は『大聖堂』と『象/滝への新しい小径』だけ箱入りハードカバーで持っていて、後は図書館で読みました。だから、文庫版を勝って読んだら再読、ということになる(あとペーパーバックも持っている…翻訳ものを買う必要はないのかも知れない)。ってかそんなユルユルした読書なんてしている場合じゃないのだけれど、一度読むと止まらない性格のため、結局一気に読んでしまった!





 この本の中にも好きな作品はたくさんある。最も好きなのは「菓子袋」。これは離婚のキッカケとなった不倫話を息子に聞かせるお父さんの話で、息子が父親の話にほっとんど関心を持たず聞いている、というのが父親の「ダメさ」をさらに色濃くしてて良い。次点が「出かけるって女たちに言ってくるよ」。これはカーヴァーの小説というよりもキングっぽい恐ろしさがある。異色だけど(主人公もそれなりに『幸福』であるし)面白い。挙げていったらキリが無いな、全部好きだ。表題作だけは、なんとなくイマイチピンと来ないんだけれど。ピンと来なくても、なんかすごく惹かれるのは「ミスター・コーヒーとミスター修理屋」。これはものすごく不思議な小説。物語の中では特に何も出来事が起こらず、語り手(=主人公)が目にした「ヘヴィなこと」が時系列もバラバラに語られる、だけ、という。オチも何にも無いんだけれど、なんか変に面白いんだよなぁ。




*1id:elieliさんのブログで知りました





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