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オダギリジョーに「ほれる」。




ゆれる オリジナルサウンドトラック
カリフラワーズ
インポート・ミュージック・サービス (2006/07/05)



 新宿武蔵野館にて鑑賞。最近観た単館系の邦画では最も面白かった部類に入る映画でした。タイトルの「ゆれる」は、つり橋だけではなく、兄弟(主人公-兄、主人公の父-主人公の伯父)の関係性の象徴でもあり、上手いタイトルのつけかただなぁ、と思ってしまいます。兄役の香川照之のセリフがオダギリジョーの心理をガツガツとゆらしていくところなど、非常にスリリングに描けていて、眠気が吹っ飛びます。全体的なストーリーは「『カラマーゾフの兄弟』+カーヴァーの小説」みたいに思えました。どうにもならないダメさ、とかがカーヴァー的というか。





 冒頭5分ぐらいは「オダギリジョーのPV」と言っても過言ではなく、玄関を出る際に自分のマネージャー(オダギリ演じる主人公は写真家、という設定)に突然キスをして去っていくところなど、カッコ良すぎて胸キュンです。濡れます。で、でっかくて古い外車に乗り込んで走り出していくのですが、エンジンをかけた瞬間、ファンキーなベースがボボン、ボボンと鳴り出して、その効果がもう完璧。カッコ良すぎ(サントラ良いです)。





 木村佑一の「素っぽい検事」の役や、ピエール瀧のデカさも良かったです。が、最も強烈だったのは伊武雅刀(主人公の父親役)。冒頭から田舎の頭の堅いジジイ(もうだいぶ歳が体にキテる感じの)っぷりを見事に演じちゃってるんですが、映画の中で二箇所自分で洗濯ものを干しているシーンがあり、その二つのシーンの変化が上手い感じ。





 どうでも良いところで個人的に一番好きなシーンは「オダギリが元恋人と再会して速攻で濡れ場に行っちゃうところの次のショットで、ガソリンスタンドで働く香川さんがトラックのガソリン給油口にあの銃みたいな形の機械を差し込んでいる」という流れ。くだらないんだけれど、あれは山中貞雄もびっくりだ、と思った。





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